【聖句】
彼らは主の命令によって宿営し、
主の命令によって旅立った。
(旧約聖書・民数記9章23節)
【黙想】
モーセに率いられた神の民。
「神の民」と呼ぶには
あまりにもたどたどしく
幼い歩みでしたがけれども、
彼らは荒れ野の旅路を通して
少しずつ「神の民」とされて
いったのでした。
今日の聖句は、
そんな彼らの歩みを
よく表していると思います。
彼らは主の命令によって宿営し、
主の命令によって旅立った。
具体的にはこうです。
イスラエルの人々は
主の命令によって旅立ち、
主の命令によって宿営した。
雲が幕屋の上にとどまっている間、
彼らは宿営していた。
雲が長い日数、
幕屋の上に
とどまり続けることがあっても、
イスラエルの人々は
主の言いつけを守り、
旅立つことをしなかった。
雲が幕屋の上に
わずかな日数しかとどまらない
こともあったが、
そのときも彼らは
主の命令によって宿営し、
主の命令によって旅立った。
雲が夕方から朝までしか
とどまらず、朝になって、
雲が昇ると、彼らは旅立った。
昼であれ、夜であれ、
雲が昇れば、
彼らは旅立った。
二日でも、一か月でも、何日でも、
雲が幕屋の上にとどまり続ける間、
イスラエルの人々は
そこにとどまり、
旅立つことをしなかった。
そして雲が昇れば、彼らは旅立った。
ゆだねる訓練。
自分の時計を、
自分の計画や段取り、
願いや希望を、
明け渡す訓練。
先を急ぎたいときに
なお留まり、
留まっていたときに
先へ進む。
試されます。
問われます。
練り清められます。
彼らは体で覚えていくのです。
たいせつなことは、
いつ行くか、
どこに留まり、
どこに行くか、
ではなく、
いつも主と共にいようとすること。
「主よ、私たちは
どこへ行けばよいでしょう」
という祈りではなく、
「主よ、私たちは
あなたが行かれるところに行き、
あなたが留まられるところに
留まります。
どうか私たちがあなたから
離れてしまわぬよう
助けてください」
という祈りこそ。
あんがい、
命じられてもいないところに行ったり、
留まるべきところから
自らの時計で去っていったり。
そんな私たちではないでしょうか。
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