【聖句】
あなたがたは、
”霊”によって始めたのに、
肉によって仕上げようとするのですか。
(新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙3章3節)
【黙想】
私たちキリスト者は、
助け主、弁護者である聖霊をいただき、
内に神を宿す者とされました。
驚くべきことです。
驚くべきことです。
このことの真の意味を
悟ることができたならば、
弟子たちを地上に残して
天に昇られたイエスさまが
おっしゃった次の言葉の
意味が良く分かると思います。
実を言うと、
わたしが去って行くのは、
あなたがたのためになる。
わたしが去って行かなければ、
弁護者はあなたがたのところに
来ないからである。
(ヨハネ16:7)
イエスさまが去っていかれる。
それは弟子たちにとって
悲しく、寂しく、
心細く、嫌なことのはず。
しかしイエスさはま
「わたしが去るのは、
あなたたちにとって益となる」
とまで言われたのです。
理由は一つ。
私が去っていくことで、
あなたがたに助け主である
聖霊がおいでになるからだ、と。
イエスさまにそこまで言わしめた
助け主なる「聖霊」。
私たちの上に働いてくださって
「イエスさまはわたしの救い主!」って
信じさせてくださった聖霊。
私たちの救いは、
私たちの信仰の旅路は、
こうして「聖霊」によって始められました。
しかし、なのです。
私たちはいつしか信仰生活を、
肉の力、
すなわち自分の知恵と力によって
仕上げていこうとしてしまう。
自分の内に聖霊がお住まいくださって
聖霊が私を助け、力づけ、
教えてくださることをほぼ完全に忘れてします。
パウロはそんなキリスト者の姿を見て
こう嘆くのです。
あなたがたは、
聖霊によって始めたのに、
肉によって仕上げようとするのか!
兄弟姉妹。
今日、思い出してください。
あなたの内には聖霊なる神様が
お住いくださっています。
そして聖霊なる神様は、
あなたを助けようと
日々準備万端整えておられるのです。
あとは私たちが
聖霊に明け渡すことです。
「あなたに助けていただきます」と申し上げるのです。
「祈り」とは通常、
聖霊に助けられ、
主イエスの名によって、
父なる神に祈ることです。
しかしときには、
代々の教会がしばしばそうしてきたように、
「聖霊なる神」に
呼びかけることも大切だと思います。
今日は、「聖霊の続唱」という
カトリック教会が
ペンテコステ礼拝で歌う讃美を
紹介しましょう。
「聖霊の続唱」
聖霊来てください。
あなたの光の輝きで、 わたしたちを照らしてください。 貧しい人の父、
心の光、証の力を注ぐ方。 やさしい心の友、
さわやかな憩い、
ゆるぐことのないよりどころ。 苦しむ時の励まし、
暑さの安らい、
憂いの時の慰め。 恵み溢れる光、
信じる者の心を満たす光よ。 あなたの助けがなければ、
すべてははかなく消えてゆき、 だれも清く生きてはゆけない。 汚れたものを清め、
すさみをうるおし、
受けた痛手をいやす方。 固い心を和らげ、
冷たさを温め、
乱れた心を正す方。 あなたのことばを信じてより頼む者に、
尊い力を授ける方。 あなたはわたしの支え、
恵みの力で、救いの道を歩み続け、 終わりなく喜ぶことができますように。 アーメン。
Youtubeで聞いてみましょう。
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