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  • 執筆者の写真元気牧師

5月16日(木)



【聖句】


アサは、その神、主の目にかなう正しく善いことを行った。

(歴代誌下14章1節)



【黙想】


「なんでこの聖句!?」って思ったのではありませんか?

たしかにこの聖句そのものからは、

何かを受け取ることは難しいかもしれません。


しかしこの聖句は、考えれば考えるほど、不思議な聖句なのです。


なぜか。

アサ王は、ソロモンのひ孫です。


ご存じの通りソロモンは晩年、

その豊かな富の故に誘惑に陥り、

数多くの美しい異国の女性たちを妻とし妾とし、

彼女たちと共にその国の「偶像の神々」が入ってくることをゆるし、

彼女たちと一緒になって偶像を拝むことさえしました。


それゆえに王国は分裂したのです。


ソロモンの子、つまりアサの祖父であるレハブアムも、

その子、つまりアサの父であるアビヤも、

ソロモンと同様、主なる神からその心が離れていました。


歴代誌下13章に記されているアビヤの言動は、

一見すると信仰的に聞こえますが、

おそらくこれは見掛け倒しのパフォーマンスだったのでしょう。


聖書はアサの父アビヤについてこう言っています。


・・・・

アビヤムは父がかつて犯したすべての罪を行い、

彼の心は父ダビデの心のようには、

彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。

・・・・



アサの曾祖父も、祖父も、父親も、

三代にわたって主の目に悪とされることを行っていたのです。


だとするとですよ。

不思議に思いませんか。


どっぷりと偶像礼拝と不信仰に陥っていた父祖たちの中で

なぜ「アサは、その神、主の目にかなう正しく善いことを行」うことができたのでしょうか?


考えられる可能性が一つあります。


アサのそばに、

「誰か」がいたのです。


偶像礼拝に心痛め、不信仰の習慣に抗い、

心の内に主への信仰を守っていた「誰か」が。


たぶん、幼い頃のアサの傍らに常にいて、

主への信仰の素晴らしさと、

主に対する忠誠の大切さ、

そして、父祖ダビデ王と神様の祝福された関係を

ねんごろに語り聞かせることができた「誰か」だと思います。


いったいそれが誰かは分かりません。


聖書に名の記されている彼に近しい周辺の人々は、

皆一様に偶像礼拝者でした。


いったい誰なんでしょうね。


確かなことは、その「名も知られぬ誰か」が

幼いアサに主への信仰を教えたのだということです。


ここから私たちは、

「伝えること」の大切さを受け取りたいと思うのです。


その名もなき誰かの証は、

ソロモン以降の不信仰の家系にすら打ち勝ったのです。


きっと神様が、真実の証の言葉を大きく用いてくださったのです。


歴史に名を刻む必要などありません。

神様が受けとめてくださいます。

そしてあなたも「アサに信仰を証した誰か」として用いられるのです。






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