
【聖句】
アサは、その神、主の目にかなう正しく善いことを行った。
(歴代誌下14章1節)
【黙想】
「なんでこの聖句!?」って思ったのではありませんか?
たしかにこの聖句そのものからは、
何かを受け取ることは難しいかもしれません。
しかしこの聖句は、考えれば考えるほど、不思議な聖句なのです。
なぜか。
アサ王は、ソロモンのひ孫です。
ご存じの通りソロモンは晩年、
その豊かな富の故に誘惑に陥り、
数多くの美しい異国の女性たちを妻とし妾とし、
彼女たちと共にその国の「偶像の神々」が入ってくることをゆるし、
彼女たちと一緒になって偶像を拝むことさえしました。
それゆえに王国は分裂したのです。
ソロモンの子、つまりアサの祖父であるレハブアムも、
その子、つまりアサの父であるアビヤも、
ソロモンと同様、主なる神からその心が離れていました。
歴代誌下13章に記されているアビヤの言動は、
一見すると信仰的に聞こえますが、
おそらくこれは見掛け倒しのパフォーマンスだったのでしょう。
聖書はアサの父アビヤについてこう言っています。
・・・・
アビヤムは父がかつて犯したすべての罪を行い、
彼の心は父ダビデの心のようには、
彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。
・・・・
アサの曾祖父も、祖父も、父親も、
三代にわたって主の目に悪とされることを行っていたのです。
だとするとですよ。
不思議に思いませんか。
どっぷりと偶像礼拝と不信仰に陥っていた父祖たちの中で
なぜ「アサは、その神、主の目にかなう正しく善いことを行」うことができたのでしょうか?
考えられる可能性が一つあります。
アサのそばに、
「誰か」がいたのです。
偶像礼拝に心痛め、不信仰の習慣に抗い、
心の内に主への信仰を守っていた「誰か」が。
たぶん、幼い頃のアサの傍らに常にいて、
主への信仰の素晴らしさと、
主に対する忠誠の大切さ、
そして、父祖ダビデ王と神様の祝福された関係を
ねんごろに語り聞かせることができた「誰か」だと思います。
いったいそれが誰かは分かりません。
聖書に名の記されている彼に近しい周辺の人々は、
皆一様に偶像礼拝者でした。
いったい誰なんでしょうね。
確かなことは、その「名も知られぬ誰か」が
幼いアサに主への信仰を教えたのだということです。
ここから私たちは、
「伝えること」の大切さを受け取りたいと思うのです。
その名もなき誰かの証は、
ソロモン以降の不信仰の家系にすら打ち勝ったのです。
きっと神様が、真実の証の言葉を大きく用いてくださったのです。
歴史に名を刻む必要などありません。
神様が受けとめてくださいます。
そしてあなたも「アサに信仰を証した誰か」として用いられるのです。
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