【聖句】
目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。
(コロサイの信徒への手紙4章2節)
【黙想】
三重地区の牧師会の学習会で、
尾鷲教会牧師の嶋田百々子先生が発題してくださいました。
嶋田先生は元英語教師であり、歌手であり、
母であり、牧師であり・・・いろんな顔を持つ
パワフルで情熱を秘めた牧師先生です。
百々子先生は、『今日における宣教の課題~特に日本における家督制度を巡って~』との主題で語ってくださいました。
尾鷲という地域で伝道の格闘をなさっている先生の、
体験に裏打ちされた発題を興味深くお聞きしました。
さまざまなことを経験し、考える中で、
最終的に先生がたどり着いた結論。
それは、「まず、『早天祈祷』からはじめよう」ということだったそうです。
そして、教会員にも呼びかけ、
粘り強く、地道に、コツコツと、早天祈祷を続けておられます。
先生の発題の結びの言葉が
大変印象的で心に残りました。
名言だと思いました。
文脈から切り離してしまうと分かりにくい部分もあるかもしれませんが、
先生の言葉をそのまま紹介します。
・・・そこに、主に用いられたいと願う個人と共同体がいる。
そこに教会がある。それがすべてだ。
教会にしかできないこと。キリストの名によって祈ること。
そこで示されたことにできるだけ忠実であろうとすること。
(教会、あるいはキリスト者というものは)残そうとして残すのではない。
自然に残っていくものなのだ、主が必要とする限り。
そこに喜びを見出す教会に恵みの渦は起こると信じる。・・・
とくに、
教会にしかできないこと。キリストの名によって祈ること。
そこで示されたことにできるだけ忠実であろうとすること。
・・・この言葉に百々子先生の、
そして尾鷲教会の真髄を見る思いがします。
ここに追いやらて行く。
ここに行きつく。
ここに立ち返る。
結局、ここなんだと思います。
教会は、伝道は、信仰は、
小手先ではないのです。
教会にしかできないこと、
キリスト者にしかできないこと、
主イエスの名で祈ること、
そこで示されたことに忠実であろうとすること。
ああ、きっと、道はここにあるんだ!
そんな明るい兆しを示された午後でした。
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