【聖句】
主よ、あなたはわたしを究め
わたしを知っておられる。
(旧約聖書・詩編139編2節)
【黙想】
神学生として歩み始めた頃。
夜道を歩きながら
ふと空を見上げると、
満月が見えました。
その満月は、
どこまでもどこまでも、
私が行くところどこにでも
ついてきました。
何度も角を曲がっても、
大通りにも路地裏にも
月はずっと、ずっと、
ついてきました。
わたしはその月に、
居心地の悪さを感じました。
ずっと見られている、
監視されている、と
思ったのです。
その思いはそっくりそのまま、
当時の私の、
神様への思いが
映し出されていました。
きっと私は当時、
真面目過ぎたのです。
自分自身の義で
身を固めようと
頑張り過ぎていたのです。
神学生として・・・
牧師のたまごとして・・・
献身者として・・・
力んでいた。
私が、私が、私が、と、
いつも自分ばかり見つめていた。
いつも他の神学生と
自分を比べてはため息をついていた。
詩篇139編は、
当時の私にとって
息の詰まるものに聞こえました。
主よ、あなたはわたしを究め
わたしを知っておられる。
座るのも立つのも知り
遠くからわたしの計らいを
悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け
わたしの道に
ことごとく通じておられる。・・・
前からも後ろからも
わたしを囲み
御手をわたしの上に
置いていてくださる。・・・
どこに行けば
あなたの霊から
離れることができよう。
どこに逃れれば、
御顔を避けることができよう。・・・
わたしは言う。
「闇の中でも主は
わたしを見ておられる。・・・」
イエス・キリストの
十字架による完全な罪の赦し。
その主の十字架を信じて
受け入れることによって
無条件で与えられる
キリストの義。
わたしはこのキリストの義を
いただくために、
勝手に自分で条件をつけ、
ハードルを設けて、
頑張ってしまっていました。
あなたはどうでしょうか。
主の十字架の恵みを
受け取るために、
自分で勝手にあれこれと
条件をつけ、
ハードルを設けて、
勝手に苦しみ、行き詰っては
いませんか。
どうか1秒でも早く、
自分の義など放り投げて
イエスさまの十字架に
100%信頼してください。
そして無条件で
余すところなく与えられる
主イエス・キリストの
十字架の恵み、
主の義を受けとってください。
そして神様に愛され、
神様の子どもとされている
自分自身を、
「でも」とか「だって」とか
言わないで、
まっすぐに認めてしまいなさい。
私のような罪深い者を
神様は愛してくださらない、
と考えるのは傲慢です。
神の愛は、
あなたの罪より、
深いのです。
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