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執筆者の写真元気牧師

4月5日(水)



【聖句】


愛には恐れがない。

完全な愛は恐れを締め出します。


(新約聖書・ヨハネの手紙一4章18節)



【黙想】



完全な愛。

それは、神様が私たちを愛する愛。

私たちの罪の赦しのために

主イエスを与えてくださり、

主イエスが十字架にかかって

死んでくださったこと。


私がこの「完全な愛」を

余すところなく受けとり、

神の愛が私たちを満たすならば

私の恐れはしぼみ、

やがて消えていくのです。


そして神の愛に押し出されて、

神様を愛する愛によって

私たちは仕えます。


それが愛ではなく、

愛に似ているけれども

愛ではないなにか、

たとえば自己愛とか、

自己顕示欲とか

自己実現への思いによって

神に仕えるならば、

そこには恐れが生まれてきます。


失敗したらどうしよう。

評価されなかったらどうしよう。

認められなかったらどうしよう。

思った通りに

できなかったらどうしよう。


マタイ25章のタラントンのたとえを

思い出します。


主人から2タラントン

あずかったしもべ。

5タラントンあずかったしもべ。


彼らはそれを元手に商売をして

さらに2タラントン、

5タラントン、増やしました。


きっと彼らは、

主人がこのような大金を

自分に委ねてくださったことが嬉しくて、

主人の愛と信頼に

こたえようと思ったのでしょう。


愛と喜びの奉仕です。

そこには恐れはありません。

主人に怒られるかも、

うまくいかないかも、

そんなことではなく、

ただただ主人の愛に、

信頼に、こたえたいのです。


主人が喜んでくださるのは、

このような生き方です。


失敗したってかまわない。

神にこたえ、

神への愛ゆえに踏み出したことなら、

その「失敗」すら益とされるでしょう。


あるお父さんは夕食時、

小学生の息子にきまって

このように聞くそうです。


「今日はどんな失敗をした?」


息子が失敗したことを話すと

お父さんは喜んだそうです。


わたしも牧師として、

キリスト者たちに聞きたい。

「今週はどんな失敗をした?」


もちろんこれは

犯した罪を聞いているのではありません。

主を信じて、

主を愛して、

やってみたけれど、

こんな失敗をした、

うまくいかなかった、

というお話です。


わたしはその人の

失敗を喜びたい。

主への信頼と

主への愛が

その人の恐れを締め出し、

大胆に挑戦できたのですから。


それは必ず益とされます。


それに、

これは経験からも言えることですが

信じてやってみる。

でも失敗し、

うまくいかなかったとする。

不思議なのですが、

そのとき心の内では、

残念な気持ちよりも

朗らかで明るい気持ちのほうが

大きい場合が多いのです。


おそらく信仰生活って、

しないで失敗しないより、

信じてやってみて

失敗することのほうが

大切なのです。


不思議です。

信仰って、

持っているだけで

働かせないと

使わないと、

放置された風船みたく

だんだんしぼんでいきます。


信仰を働かせ、

信仰を使ってください。


信仰がなくてもできることではなく、

たとえそれがささやかなことであっても

信仰がなければできないようなことを

やってみてください。


10冊の信仰書を読んで積み上げるより、

1回、信仰を働かせて

何かにチャレンジするほうが

よほど良いです。






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