【聖句】
旅には何も持って行ってはならない。
杖も袋もパンも金も
持ってはならない。
下着も二枚は持ってはならない。
(新約聖書・ルカによる福音書9章3節)
【黙想】
12人の弟子たちに
主の御業をなす権能を委ね
神の国を宣べ伝えるために
派遣するにあたり、
イエスさまは開口一番おっしゃいました。
「旅には何も
持って行ってはならない」と。
住まいを離れ、
住み慣れた町を離れて
旅に出ることは恐れを掻き立てます。
不安があり、
あれこれ心配があり、
それだけに「あれも、これも」と
いろんなものを
持っていきたくなるものです。
どんなに荷物を減らしたとしても
最低限の必需品は
必ず携行するのが常識でしょう。
しかし主は、
何も持っていくな、とおっしゃるのです。
確かにこのような指示は
極端なものかもしれません。
でもイエスさまは、
このあと今度は72人の弟子たちを
同様に宣教に遣わす際にも、
これとまったく同じ指示をされました。
10章4節にこうあります。
「行きなさい。
わたしはあなたがたを遣わす。
それは、狼の群れに
小羊を送り込むようなものだ。
財布も袋も履物も持って行くな。」
普通、逆でしょう?
でもイエス様は、
危険があるからこそ、
試練があるからこそ、
何も持たずに行けとおっしゃるのです。
なぜでしょうか。
それは、
主の備え、主の養い、
主の守り、主の恵みを、
身をもって体験してほしいからです。
主の御心を行う者のために
主は必ずすべてを備えてくださる。
このことを、
直接、自分の身をもって味わうことが、
主の弟子にとって
欠かせない体験なのです。
詩編37篇25節の御言葉が
心に浮かびます。
若いときにも老いた今も、
わたしは見ていない
主に従う人が捨てられ
子孫がパンを乞うのを。
このような御言葉の約束は、
知っているだけでは意味がない。
味わわないと。
信仰は、
座学だけでは絶対に成長しません。
実地訓練、実践研修が
是が非でも必要です。
「旅には何も持っていくな。」
それはすなわち、
「ただ主への信仰だけを携えて行け。」
ということです。
何にもないから、
主を呼び求める他ありません。
でもそうすることで、
彼らは本当に、
主の真実を体験したのです。
私たちは主に「あれを、これを」と
祈り求めますが、
案外、私たちが
主の恵み、主の御業を
身をもって体験することが少ないのは、
いろいろと持ちすぎているからかもしれません。
神さま以外に、信仰以外に、
実は、あれもこれもと
「あてにしているもの」が
あるからなのかも・・・。
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