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執筆者の写真元気牧師

4月26日(水)



【聖句】


本人が罪を犯したからでも、

両親が罪を犯したからでもない。

神の業がこの人に現れるためである。


(新約聖書・ヨハネによる福音書9章3節)



【黙想】


ある人にユダヤ人の友達がいました。

その友達には、生まれつき

全身に麻痺があり、

電動車椅子で大学に通い、

人の何倍も苦労しながら

学んだそうです。


そして彼は、世界的に著名な

学者になりました。


彼のお母さんは、

彼が幼いころからいつも

こんな祝福の言葉を語り続けて

いたそうです。


 あなたが障害を持って生まれたのは

 神様の特別な御心なのよ。

 神様はあなたのために驚くべき

 ご計画を持っておられるのよ。

 だから自信を持ちなさい。


神の愛の中にいるとき、

そこから世界を、

出来事を、人生を

見つめるとき、

すべては変わります。


いろんなことがあります。

神の愛、愛の神を

疑いたくなるような出来事も

五万とあるでしょう。


しかし神は、

その独り子をお与えになった神。

愛する御子を十字架に渡された父です。


この愛の中に留まろう。

そしてそこから紡ぎ出される

希望を握ろう。


イエスさまは、

生まれつき目の見えない人が

座っているのを見て、

人々が「どんな罰でこうなったのか」と

いう言葉を受けておっしゃいました。


 本人が罪を犯したからでも、

 両親が罪を犯したからでもない。

 神の業がこの人に現れるためである。


わたしたちも

このように言うことができます。

主の愛の中でものを見るなら。


主イエスはこうも言われました。


 父がわたしを愛されたように、

 わたしもあなたがたを

 愛してきた。

 わたしの愛にとどまりなさい

(ヨハネ15:8,9)


アーメン。






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