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  • 執筆者の写真元気牧師

4月2日(日)



【聖句】


わたしたちが

神を愛したのではなく、

神がわたしたちを愛して、

わたしたちの罪を償う

いけにえとして、

御子をお遣わしになりました。

ここに愛があります。


(新約聖書・ヨハネの手紙一4章10節)



【黙想】


悩みと挫折の大波に

足元をすくわれ、

引き波によって疑いの深みへと

引きずりこまれそうに

なっていたとき、

夜の神学校の正門横の

ほの暗い街灯の下で、

友人が私にこう言いました。


 神様は、君の苦しみを

 知っている。

 その神様は、

 独り子を十字架につけた

 神様だよ。


知っていました。

分かっていました。

教会学校の子どもたちにも

中高生たちにも、

同じように

教えていました。


でもあの時の私にとって

この友人の言葉は、

すとーん、と、

心の穴の一番底に

到達したような感じがしました。


神様はわたしの苦しみを

知っていてくださる。


そして私の苦しみを

知っていてくださる神様は、

独り子を十字架につけた神様なのだ。


問題が解決したわけではないけれど、

「ああ、そうだった」と思ったのです。

これだけ知っていれば、

あとのことは良いではないか、と

思えたのです。


神様の愛。

それは、ご自分の独り子を

十字架につけるほど激しく、

深いもの。


そしてそれゆえに、

やっぱナシ!なんてもうできない。

もう取り消しようのない、

絶対的な愛なのです。


神様は私を

愛してくださっている。


すべてのことは、

この愛から出ている。


今は分からなくとも、

今はつらくとも、

きっと分かる日がくる。


これさえ分かっていれば

これさえ忘れなければ、

きっとなんとかなる。


そんなふうに

まっすぐ思えたのです。











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