【聖句】
聞いていたことをそのまま、わたしたちは見た。
(詩編48編9節)
【黙想】
イスラエルの民は、
聞いていたことをそのまま、わたしたちは見たのです。
彼らの先祖が体験し、後世に証したこと。
主は生きておられ、
力強く、鮮やかな、御業をしてくださったこと。
聞いたことをそのまんま、自分たちの見た。
私は、これがとても大切だと思うのです。
聞くことは大切です。
しかし、聞くだけで終わってしまってはならないのです。
「へ~、昔の人たちはエライことを体験したんやなあ~」ではなく、
「主よ、わたしたちも、見たいです!」って
飢え渇いて求めることが大事なのではないでしょうか。
もちろん、あまりにも「経験」「体験」ばかりを求めるのはかえって不信仰でしょう。
でも、あまりにも体験を欠いた信仰は、
「絵に描いた餅」ではありませんか?
体験主義、経験主義はよくない、と頭ごなしに言われます。
でも私は、行き過ぎた体験主義でないなら、
むしろ「主よ、見せてください」と信じて祈ることは大事だと思います。
「聞いていたことをそのまま、わたしたちは見た」と、
私たちも叫びたい。証したいのです。
一つ、心に留めたいと思います。
「主よ、見せてください」と祈るのは、
主が喜ばれる「見ないで信じる信仰」と矛盾するのではないか?と思うかもしれません。
矛盾しません。
たしかに、
「主よ、見せてください、そうすれば信じます」と祈るとすれば
それは「見ないで信じる信仰」と齟齬が生じるでしょう。
しかし私たちは、
「主よ、見せてください」と祈りつつ、
主の御業を信じて(見なくても)信じて踏み出していくのです。
そのとき主は、きっと、
私たちの想像など軽々と超えて栄光を表してくださるでしょう。
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