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執筆者の写真元気牧師

4月19日(金)




【聖句】


聞いていたことをそのまま、わたしたちは見た。


(詩編48編9節)



【黙想】


イスラエルの民は、

聞いていたことをそのまま、わたしたちは見たのです。


彼らの先祖が体験し、後世に証したこと。

主は生きておられ、

力強く、鮮やかな、御業をしてくださったこと。


聞いたことをそのまんま、自分たちの見た。


私は、これがとても大切だと思うのです。


聞くことは大切です。

しかし、聞くだけで終わってしまってはならないのです。


「へ~、昔の人たちはエライことを体験したんやなあ~」ではなく、

「主よ、わたしたちも、見たいです!」って

飢え渇いて求めることが大事なのではないでしょうか。


もちろん、あまりにも「経験」「体験」ばかりを求めるのはかえって不信仰でしょう。


でも、あまりにも体験を欠いた信仰は、

「絵に描いた餅」ではありませんか?


体験主義、経験主義はよくない、と頭ごなしに言われます。


でも私は、行き過ぎた体験主義でないなら、

むしろ「主よ、見せてください」と信じて祈ることは大事だと思います。


聞いていたことをそのまま、わたしたちは見た」と、

私たちも叫びたい。証したいのです。



一つ、心に留めたいと思います。


「主よ、見せてください」と祈るのは、

主が喜ばれる「見ないで信じる信仰」と矛盾するのではないか?と思うかもしれません。


矛盾しません。


たしかに、

「主よ、見せてください、そうすれば信じます」と祈るとすれば

それは「見ないで信じる信仰」と齟齬が生じるでしょう。


しかし私たちは、

「主よ、見せてください」と祈りつつ、

主の御業を信じて(見なくても)信じて踏み出していくのです。


そのとき主は、きっと、

私たちの想像など軽々と超えて栄光を表してくださるでしょう。










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