【聖句】
洗礼を受けて
キリストに結ばれた
あなたがたは皆、
キリストを着ているからです。
(新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙3章27節)
【黙想】
キリストを着る―。
とても心惹かれる表現です。
キリストを着る、身にまとう、
という言葉は、
パウロが好んで用いた表現ですね。
キリストを身にまとう、
キリストを着る。
これは私たちがイメージする
洋服を脱ぎ帰する、というのとは
少し違うと思います。
当時の衣服は、
一枚物の大きな布を、
体にグルグルと巻き付けて
身にまとうようなもので、
体中、頭まで覆うような形でした。
古き衣を脱ぎ捨てて、
新しい衣を着る。
それはほんとうに、
ごっそりと脱ぎ捨てて、
上から下まで体全体に
まったく新しい布をまとう、
全身がまるで見違えるように
なることを意味していたはずです。
キリストを着る。
キリストを身にまとう。
周りから見たら、
その人の全身が
イエスさまなんです。
その人がイエスさまに見えるのです。
ハイデルベルク信仰問答
問60の言葉を思い出します。
なぜ私がこの言葉を
思い出したのかを考えながら、
問答の言葉を味わってください。
問60 どのようにしてあなたは神の御前で義とされるのですか。
答 ただイエス・キリストを信じる、まことの信仰によってのみです。すなわち、たとえわたしの良心がわたしに向かって、「お前は神の戒めすべてに対して、はなはだしく罪を犯しており、それを何一つ守ったこともなく、今なお絶えずあらゆる悪に傾いている」と責め立てたとしても、神は、わたしのいかなる功績にもよらず、ただ恵みによって、キリストの完全な償いと義と聖とをわたしに与え、わたしのものとし、あたかもわたしが何一つ罪を犯したことも罪人であったこともなく、キリストがわたしに代わって果たされた服従を、すべてわたし自身が成し遂げたかのように、みなしてくださいます。そして、そうなるのはただ、わたしがこのような恩恵を、信仰の心で受け入れる時だけなのです。
Commentaires