【聖句】
角笛を吹いて神を賛美せよ。
琴と竪琴を奏でて神を賛美せよ。
太鼓に合わせて
踊りながら神を賛美せよ。
弦をかき鳴らし
笛を吹いて神を賛美せよ。
シンバルを鳴らし神を賛美せよ。
シンバルを響かせて神を賛美せよ。
息あるものはこぞって
主を賛美せよ。
(旧約聖書・詩編150編3-6節)
【黙想】
ずいぶんと賑やかだったに
違いありません。
旧約聖書時代の神殿礼拝は。
もちろん、
律法の朗読を聞くときなど
必要あるときは
沈黙を守ったことでしょう。
しかし主を讃美するときは
とにかく自由に
のびのびと、
心を動かし、
体を使って、
主をほめたたえたのです。
文字通り、全身全霊で―。
だいぶ前のことです。
東京都心の教会の
礼拝に出席したことがあります。
大きな会堂。
美しいパイプオルガン。
きらびやかなステンドグラス。
そして席を埋め尽くす
多くの人、人、人。
あっけにとられつつ、
期待をもって
礼拝に臨んだのです。
しかしその教会の
礼拝が始まるや、
私はとても悲しい思いに
満たされました。
余りにも讃美歌の声が
小さく弱々しかったのです。
誰もが誰かに遠慮しているような
誰もが知らない歌を
初めて歌っているかのような、
そんな感じだったのです。
祈りも、誰かが言い出すまで
待っているような感じだった。
美しく輝く礼拝堂で
無表情で淡々と
進行する礼拝―。
このような整然とした
礼拝に憧れを抱き、
こんな整った礼拝ができたら
と思う方もいるかもしれません。
でも私は、
そうは思えませんでした。
以前ある方が、
礼拝中に涙が出そうになるのを
泣きそうになるのを、
必死に我慢していました、
とおっしゃっていました。
わたしはその方の言葉に
心を寄せ、思いを理解しつつ、
同時にこう思いました。
主の御言葉に打たれた人、
主の恵みに感動した人が、
溢れる涙をこらえ
押しとどめようとしなければ
ならない礼拝って、
どうなんだろう、って。
涙だろうが鼻水だろうが、
なんだろうが、
主の前に心を解き放って
心のままに讃美し、
祈り、御名を呼び求める―。
もちろん「公同の礼拝」ですから
それにふさわしい節度は
あるべきでしょう。
けれども、
人工的で過度の節度は、
聖霊の働きを押しとどめ
聖霊を締め出してしまうと
思うのです。
無理秩序な礼拝は
望ましくありませんが、
泣きたいときに泣けない
礼拝は、もっともっと
望ましくないと思います。
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