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  • 執筆者の写真元気牧師

4月12日(金)



【聖句】


彼らは、自分の剣によって地を得たのでもなく、

自分の腕が彼らを救ったのでもありません。

ただあなたの右の手、あなたの腕、

あなたの御顔の光が、そうしたのです。


(詩編44編3節・新改訳)



【黙想】


とにかく、神様の御力に全面的により頼むことが、

私たちに勝利をもたらすのです。


力を捨てよ、知れ、わたしは神。」詩編46:11


とにもかくにも、

本当に私たちは、自分の力ではなく神様の力だけに信頼する必要があります。


信仰の戦いは、

力を得、力づくで頑張る、そのための戦いではありません。

いかに己の力を捨て去ることができるか。

いかに自分の知恵や経験を手放せるか。

いかに「こんなの無理」「ありえない」「ばかげている」という内なる声に

抗うことができるか。



私たちが「これは自分の手柄だ」と思ってしまうような条件、状況の中では、

主は、ご自身の栄光をあらわされません。


主は、アブラハムの内から、

彼自身の可能性や希望のカケラが完全に消え果てるまで

忍耐強く待たれました。


そして彼が100歳になったとき、

すべての内なる望みが失せ果てたとき、

その彼を通して栄光をあらわしなさいました。


アブラハムは逆立ちしたって

「わたしの手柄、わたしの力だ!」なんて誇れなかったでしょう。



兄弟姉妹、

約束の地に入っていこうとしている神の民に、

モーセは次のように語りかけました。


・・・・

あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい。(申命記6:10-)

・・・・



主が何を望んでおられるのかを思う時、

次の使徒パウロの言葉を、

我が言葉としていたいと思います。


・・・・

ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。

この並外れて偉大な力が神のものであって、

わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。

(2コリント4:7)

・・・・


心からアーメンです。

まっすぐに、土の器であり通したいと思います。







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