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執筆者の写真元気牧師

4月12日(水)



【聖句】


「子供たちを

 わたしのところに来させなさい。

 妨げてはならない。

 神の国は

 このような者たちのものである。」


(新約聖書・マルコによる福音書10章14節)



【黙想】


幼稚園の新学期。

新しいクラスは

蜘蛛の子を散らすような

状態になることもしばしば。


そのような子どもたち

一人一人に目をかけ

手をかけ、心を配り。


そんなときにイエスさまに、

神の国は

 このような者たちのものである

なんて言われたら、

いくらイエスさま相手でも

「えぇっ?」と

物申したくなるかもしれません。


イエスさまは

子どもたちのどんなところを

ご覧になっているんでしょう。


聖句はこう続きます。


 はっきり言っておく。

 子供のように神の国を

 受け入れる人でなければ、

 決してそこに入ることはできない。


受け入れる。

受け入れる力。


凝り固まっていない。

狭まっていない。

こんなの間違っている、

そんなの嘘だ、

あり得ない、と言わない。


好奇心、

と言ったら月並みですが、

それに近いのかもしれません。


モーセが

主なる神様に召されたときの

いきさつを思い出します。


モーセが羊の群れをおって

ホレブに来たときのことです。

聖書にはこうあります。


 そのとき、

 柴の間に燃え上がっている

 炎の中に主の御使いが現れた。

 彼が見ると、見よ、

 柴は火に燃えているのに、

 柴は燃え尽きない。

 モーセは言った。

 「道をそれて、

 この不思議な光景を見届けよう。

 どうしてあの柴は

 燃え尽きないのだろう。」

 主は、モーセが

 道をそれて見に来るのを

 御覧になった。

 (出エジプト記3章2節)


モーセはこのとき80歳。

そんな彼が、

見たことのない

不思議な光景を見て、

「なんでだろう?

 見に行こう!」

といって道をそれていったと

いうのです。


たとえば園外保育のお散歩のときに

気になるものを見つけて

すすーっと行ってしまう

幼子の姿を彷彿とさせます。


弟子のペトロの姿も

思い出されます。


夜のガリラヤ湖で

一晩中逆風に漕ぎ悩んだあげく、

水の上を歩いてイエスさまが

弟子たちに近づいてこられたとき。


使徒ペトロは、主だと分かると

おもむろにこう叫びました。


「主よ、あなたでしたら、

 わたしに命令して、

 水の上を歩いて

 そちらに行かせてください。」

 (マタイ14:28)


このあと主イエスが

「来なさい」と一言おっしゃると、

ペトロは大胆にも

舟から降りて水の上に

足を踏み出していくのです。


周りの弟子たちは、

「行くんかい!!」と

突っ込みたくなったはずです。


神の国を見る。

神の国を体験する。

そのためには、

道をそれていくこと、

言われた通りにやってみることが

とっても大切なのです。


道をそれて、やってみる。

オトナには難しいでしょう?

でも、これが鍵なのです。









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