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  • 執筆者の写真元気牧師

3月6日(月)



【聖句】


我々は主を知ろう。

主を知ることを

追い求めよう。

主は曙の光のように

必ず現れ

降り注ぐ雨のように

大地を潤す春雨のように

我々を訪れてくださる


(旧約聖書・ホセア書6章3節)



【黙想】


昨日の主日礼拝のメッセージの

終わりのところで

伝えたかったことを、

ここにもう一度、

記したいと思います。


どうかもう一度、

何度でも、

心に刻んでください。



・・・・・・


兄弟姉妹。

ある人がどんなに立派で、熱心で、

人々から「すごい!」と

思われるような信仰を持っていたとしても、


「イエス・キリストが誰であるか」を知らなければ、

すなわちその人が、

イエス・キリストとの個人的な、

親密な関係を築いていないならば、


その信仰は、

実はとてももろいものです。

たとえどんなに強そうに見えてもです。


すべての恐れは、

私たちと共におられるイエス・キリストが

どなたであるか、

どれほどのお方であるかを

知らないことから来るのです。



嵐の夜の舟の上で、

どうして弟子達は恐れたのですか。


舟が小さかったからですか。

違います。


嵐がひどかったからですか。

違います。


人数が足りなかったからですか。

そうではないのです。


彼らが恐れを覚えた根本的な原因は、

彼らが、自分たちの

小さな小さな舟に共に乗り込んでくださっている

主イエスがどなたであるかを知らなかったことにあります。


彼らはイエスさまが舟に乗っているのを

忘れていたわけではありませんでした。


イエスさまがこの舟に乗っていることは

知っていたのです。


ただ、自分たちの舟に乗っていてくださっている

このお方が、

どれほどのお方であるかを知らなかった。


だから恐れたのです。


それゆえ弟子たちは、

主イエスが風と波をお叱りになり

湖面が凪になったのを見ると、

驚いてこう言い合いました。


「この方は、いったいどなたなのだろう。

 風や波さえも従うではないか。」



兄弟姉妹。

わたしたちはどうだろうか。


あなたはイエス・キリストを知っていますか。

彼がどれほどのお方であるかを知っていますか。



繰り返します。


すべての恐れは、

私たちと共におられるイエス・キリストが

どなたであるかを知らないことから来るのです。


裏返して言えば、

私たちと共におられるイエス・キリストが

どなたであるかということを知るならば、

私たちのすべての恐れは、

恐れではなくなるということです。



だとすれば、私たちは

どのように祈るべきでしょうか。


問題が解決するように、

という祈りも大切でしょう。

この苦しみが取り去られるように、

という祈りも切実でしょう。


しかし最も祈るべきこと、

それは、

この苦しみや試練が取り去られることではなく、

この苦しみや試練を通して

もっと深く、

もっと良く、

主を知ることです。


 主よ、あなたをもっと良く知りたいのです。

 あなたの力、あなたの憐み深さ、

 あなたの優しさ、あなたの光、

 あなたのお考えや、ご計画を、

 もっと深く知りたいのです。


このように祈り始めるとき、

私たちの苦しみは、

私たちの試練は、

聖なるものとされ、

主に出会う応接間とされます。









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