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執筆者の写真元気牧師

3月27日(月)



【聖句】


わたしの恵みはあなたに十分である。


(新約聖書・コリントの信徒への手紙㈡12章9節)



【黙想】


パウロの体には、

一つの「とげ」が

与えられていたというのです。


この「とげ」が何を指しているのかは

所説あります。


ある人はパウロは、

てんかんの持病があったという。

またある人は、

パウロの顔面には、

投石で受けた醜い傷跡があった

のではないかという。


真相は分かりませんが、

その「とげ」はパウロを苦しめ、

伝道者にとって本当に

「これさえなければ…」と

思われてならない何かだったことは

間違いありません。


それゆえパウロは、

「これを取り去ってください」と

繰り返し繰り返し祈りました。


その祈りに対する主の答えは

このような言葉だったのだそうです。


「わたしの恵みは

 あなたに十分である。

 力は弱さの中でこそ

 十分に発揮されるのだ」。



「これさえなければ」

「どうしてこんなものが」と思い詰め、

身に突き刺さって抜けない「とげ」

ばかりに目を奪われていたパウロに、

主は、

「我が恵み、汝に足れり」と言われました。


私たちはとかく、

足りない足りない、と言い、

これさえなければ、とつぶやきながら

気づけば目の前の問題の虜となり、

まるで四六時中

欲しいおもちゃのことを考え、

お店に並ぶそのおもちゃに

熱視線を注ぐ子どものように、


目の前の問題ばかりを考え、

それに熱き視線を注いでしまうのです。


そして言うのです。

「主よ、もっと恵みをください」

「主よ、足りません」と。


日ごとに溢れるほどの恵みが

注がれているのに、です。



かつて主は、

このようにおっしゃいました。


 耳の聞こえない人よ、聞け。

 目の見えない人よ、よく見よ。

 わたしの僕ほど

 目の見えない者があろうか。

 わたしが遣わす者ほど

 耳の聞こえない者があろうか。

 わたしが信任を与えた者ほど

 目の見えない者

 主の僕ほど

 目の見えない者があろうか。

 多くのことが目に映っても

 何も見えず

 耳が開いているのに、

 何も聞こえない。


(イザヤ42:18-20)



わたしたちもきっと、

恐れの虜となり、

目の前の問題の奴隷となり、

霊的視野狭窄となってしまうのです。


ですから私たちは、

苦しみや試練、

問題を抱えているときこそ、

このように祈るべきなのだと

思うのです。



【小さな祈り】


主よ、

わたしの目を開いてください。

きっとあなたは、

私にもおっしゃると思います。

「わたしの恵みは、

 あなたに十分である」と。

ですから私の目を

開いてください。

あなたの恵みが見えるように。

あなたがどれほど

私を愛おしいと

思っていてくださるか

分かるように。

きっと、

あなたのすべての恵みが

見えたなら、

わたしの恐れなど

朝霧のように消え去るでしょう。

あなたの私への愛が

分かったら、

わたしの不安など、

砂上の文字のように

跡形もなくなくなるでしょう。

主よ、わたしの目を

開いてください。

そしてあなたの豊かな

恵みを、わたしに見せてください。

*あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。




















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