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  • 執筆者の写真元気牧師

3月17日(金)


【聖句】


主の山の上には備えがある。


(旧約聖書・創世記22章14節[新改訳])




【黙想】


ようやく与えられた

一人息子イサクを捧げよ!と

神に命じられたアブラハム。


それは彼の人生最大の試練でした。


薪と火と刃物はは準備してあるのに、

礼拝の捧げものにする小羊は準備せず

礼拝の山に向かう父アブラハムに、

息子はこう問いかけました。


「火と薪はここにありますが、

 焼き尽くす献げ物にする

 小羊はどこにいるのですか。」


父アブラハムは

前を向いたままこう答えました。


わたしの子よ、

 焼き尽くす献げ物の小羊は

 きっと神が備えてくださる。


彼は黙って歩き続け、

ついにモリヤの山に到着しました。


アブラハムはその山の上で

イサクを縛り、

主へのささげものとすべく

刃物を振り上げました。


その瞬間、

「手を下すな!!」との主の御告げが

くだったのです。


アブラハムが目を凝らしてみると、

そこには神によって、

ささげものの小羊が備えられていました。


人生最大の試練を通して

アブラハムが学び知ったこと。


それは、

「主の山の上には備えがある」ということでした。


主の山に、備えあり。

私たちはこの約束の御言葉を

固く握りたいと思います。


しかし、同時に、

見落としてはならないことが

一つあります。


そうです。

アブラハムは主の御言葉に従って、

モリヤの山に登ったのです。


主の御言葉に従って

従順に山に登っていく。

そして主のご命令に従おうとして、

自分には決してできないこと、

すなわち、息子イサクをささげるという

不可能に踏み込んでいった。


そこでこそ、

主の備えが与えられる。

主の備えが見えるようにされる。


兄弟姉妹。

「主の山に備えあり」

という言葉を振りかざして、

神に不足ばかりを嘆くことはやめよう。


私たちもまた

アブラハムのように

「きっと神が備えていてくださる」

と信じて、

神の御言葉に従っていく道、

不可能の道へと踏み出していこう。


その時、必ず私たちは

アブラハムと同じ言葉を

口にすることになる。


「主の山の上には備えがある。」


だから私たちも、

山の下でつぶやくのではなく、

主の山に登ろう。



【小さな祈り】


主よ。

薪はあります。

火も準備できました。

刃物もなんとか確保できました。

でも、ささげものの小羊が、

いちばん重要なものが

足りないのです。

必要なものが全部

与えられてから、

安心して出発したいと

私の心は叫んでいます。

それでも主よ、

アブラハムは出発しました。

前を見て、主の備えを信じて

踏み出しました。

恐れを信仰に

変えてくださった主よ、

私の恐れと不安も、

信仰に変えてください。

*あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。









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