【聖句】
我は復活なり、生命なり、
我を信ずる者は死ぬとも生きん。
(新約聖書・ヨハネによる福音書11章25節[文語訳])
【黙想】
以前仕えていた教会のお墓。
その納骨堂正面の石に、
この聖句が彫り込まれていました。
深く刻まれていたのですが、
着色されていなかったので(雨風で落ちた!?)、
離れたところからだと
何が書いてあるのか
分からなかったのです。
市営の墓地の一角の
共用の水道のすぐそばで、
人目に触れるお墓でしたので、
わたしは着任してすぐに、
その広いお墓の敷地の「整備」をしました。
草を刈り、植栽を剪定し、
土をならし、
そして最後に、
何時間も墓石の前に座り込んで、
細い筆に純白のペンキで、
一文字、一文字、
聖句に色を置いていったのです。
我は復活なり、生命なり、
我を信ずる者は
死ぬとも生きん。
この聖句の手触りを確かめるように
何時間も時を過ごす中で、
この御言葉の持つ力強さ、
命の力にあらためて心打たれました。
沈黙と死の支配する墓地にあって、
「我は復活なり、命なり!」との
宣言が静かに響き渡ります。
年に二度、
イースターと召天者記念礼拝には
この墓地に皆で赴き、
ハレルヤと讃美を歌います。
その度ごとに、
主イエスが力強く私たちの前を
進みゆかれるお姿を心に留めます。
主イエスは、
死の一歩手前までしか共に歩めない、
そんなお方ではありません。
この神は世々限りなく
わたしたちの神。
死を越えて、
わたしたちを導いて行かれる
(詩編48:15)
主イエスは、
死の真っただ中でも
あなたの手を握っていてくださいます。
死を越えて、
あなたを導いてくださいます。
【小さな祈り】
死を越えて
われらを導かれる神よ。
おののけるこの手を取って、
恐れることはないと言ってください。
死の中を覗き込むようなとき、
死の陰の谷をゆくとき、
死の宣告を受けるとき。
命のはかなさに涙するとき。
主よ、あなたの命が、
復活の命が
私の内にもあることに
あらためて驚かせてください!
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*あなたの言葉で祈りなさい。
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アーメン。
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