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  • 執筆者の写真元気牧師

3月14日(火)



【聖句】


この希望は

失望に終わることがありません。


(新約聖書・ローマの信徒への手紙10章11節[新改訳])



【黙想】


この希望とは、

どのような希望でしょうか。


この聖句の前後を読んでみましょう。

少し長いですが、

指でなぞるような気持ちで

じっくりと読んでみてください。


ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 

信仰の世界にあっては、

患難が希望を生み出すのだというのです。


キリスト者になるということは、

苦しみや試練が無くなるということ

ではありません。


なお苦しみはあるのです。


しかしその苦しみは、

最後まで苦しみのまま終わってしまう

ものではなくなります。


神は私たちに、

希望を生み出すための苦しみ以外は

お与えになりません。


慎重に聞いていただきたいのですが、

私たちのところに

苦しみや試練が訪れるのは、

神がそれをお許しになったからです。


なぜ神は、

私たちのもとに試練や苦しみが

訪れることをお許しになったか。


それは、

私たちに「失望に終わらない希望」を

与えたいと願われたからです。


私たちはもがくでしょう。

辛い思いをするでしょう。

泣きわめくでしょう。


神よ、なぜ!!と叫ぶでしょう。


けれども、

あなたがキリスト者であるなら、

そしてあなたが、

ごまかしたり

無視したりせずに

神に向かって涙を流すなら、

あなたの苦しみは

必ず希望を生み出し、

あなたの涙は

必ず喜びの歌に変えられます。


なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、
神の愛が私たちの心に注がれているからです。 

わたしが失望しそうになっても、

私の内にいます聖霊が

決して諦めることなく

私を慰め、励まし、

絶え間なく神の愛を注いでくださる。


疑いと恐れの中に

沈み込んでいきそうな私の内に、

神の愛を、

神の光を、注ぎ続けてくださる。


注がれるその愛が、

浸入してくる失望の大水を押し出し、

その光が、

心の闇を押し戻してくださる。


だめだ、だめだ、と

こぼす心の雫を吹き払い、

だいじょうぶだ、

おそれるな、

と何度でも語りかけてくださる。



あなたの内なる聖霊に

もっともっと助けていただくために、

どうか聖霊の内住を

心から信じて受け入れてください。



【小さな祈り】


天の父なる神様。

あなたが御子の名によって

わたしたちに与えてくださった聖霊が

わたしのうちにお住まいくださって

いることを信じて感謝し、

心から聖霊なる神さまを歓迎します。

聖霊なる神様が我が内にいまし、

我が心に絶えず神の愛を

注いでいてくださることを

信じます。

主よどうか、わたしが

風を受ける帆のように、

鷲の翼のように、

聖霊の助けを受けとる

ことができますように。

*あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。













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