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執筆者の写真元気牧師

3月12日(日)




【聖句】


「沖へ漕ぎ出し、

 網を降ろして漁をしなさい。」


(新約聖書・ルカによる福音書5章4節)



【黙想】


主イエスがペトロを

弟子として召し出された場面。


その日の朝、

ペトロらガリラヤ湖の漁師たちは

不漁だった昨夜の空振りを

消し去るかのように、

岸に戻ってからも家には帰らず

浜で網の手入れをしていました。


そこに主イエスが来られました。


湖畔で群衆に教えておられ

る主イエスをチラッとわき目で見ながら

漁師たちは網の手入れを

続けていました。


と、主イエスがおもむろに

ペトロの舟に乗り込み、

彼を手招きするではありませんか。


「ほんの少しだけ漕ぎ出してくれ」。


ペトロは言われた通りにしました。

主イエスはその舟の上から

人々に語りました。


語り終えること

ペトロのほうを振り向き、

彼にこうおっしゃったのです。


「沖へ漕ぎ出し、

 網を降ろして漁をしなさい」



ペトロにはこの命令に

従わない最もな理由が、

少なくとも4つありました。


➀一晩中漁をしたけれど、

一匹も獲れなかった。


➁ここでの漁は、

夜にするもの(今は、もう朝)。


➂そもそも、いまは網の手入れの途中。

(網の手入れ作業って、めっちゃ大変なんです)


➃漁をせよと命じているこの人は、

漁の経験はまったくない。



しかしこの後のペトロの

言葉は驚くべきものでした。



「先生、私たちは夜通し漁をしましたが、

 何も捕れませんでした。

 しかし、お言葉ですから、

 網を降ろしてみましょう。


・・・そして彼は、

奇跡の大漁を経験し、

主イエスの力におののき、

主に従うものとされたのでした。



兄弟姉妹。

あなたの知識や経験、

あなたの時間や常識にしばられて、

この「しかし」が言えず、

「網を降ろしてみる」ことが

できないとすれば、

私たちは主イエスの力も、

驚くべき神の御業も見ることなく

頭でっかちの信仰に終始するでしょう。


そのような信仰は、

「立派な」祈りはでき、

「立派な」文章は書けるでしょうが、

素直で心の通った祈りや、

まっすぐな信仰の証の言葉を

生み出すことはできないでしょう。


不漁の夜の次の朝、

ベテラン漁師に、

「もう一度網を降ろしなさい」と

おっしゃった主は、

あなたにも同様のことを

お命じになります。


ペトロは、

「今、網を降ろせば大漁のはずだ」と

信じて漕ぎ出したわけではありません。


何が起こるか分からないし、

網を降ろしてどうなるのかという

思いもありながらも、

「しかし、お言葉ですから」といって

やってみる。

はじめてみる。


分かったから従った、というより、

従ったから分かるようになった、

ということなのです。


信仰って、

信仰の成長って、

ここが肝心。



【小さな祈り】


主よ。

分からないと動けない。

納得できないと立ち上がれない。

だからあなたのお姿が見えない。

わたしもペトロのように!!

「しかし、あなたがおっしゃるのですから」と

踏み出す大胆さ、愚かさ、無邪気さを

わたしの内に生み出してください。

*あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。












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