【聖句】
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
(旧約聖書・詩編23編2,3節)
【黙想】
もっと頑張れ、
とは言われていないのです。
あなたは自分を
責めすぎなのです。
神様に出会い、
救われ、愛されて、
神様を信じる者の歩みを
はじめてからも、
「昔の癖」が抜けなくて、
自分を責めすぎなのです。
だから自分の信仰が
思うように成長深化していかないと
自分に鞭を打ちはじめる。
ワタシには〇〇が
足りないのだ。
ワタシがもっと
〇〇をしないといけないんだ。
ワタシは〇〇だから
きっと神さまが怒ってるんだ。
真面目な人ほど、
自分を責める。
自分に鞭を打つ。
ワタシのせいにする。
もちろん、
自己吟味はたいせつです。
自分自身を顧みることも
かかせないことです。
でも皆さん、
イエスさまを見つめる以上に
自分を見つめるというのなら
それは違う。
祈りは、
眼差しを神様に向かわせ、
キリストの十字架を仰ぎ、
自分がしてしまったこと、
ワタシに足りないアレコレではなく、
主が十分な方であり、
主の救いの御業は完全であり、
主のご計画が最善であり、
主に足りないものは
何一つないことを
思い起こすこと。
私たちはともすると、
「祈り」においてすら
自分自身を見続けていることがあるのです。
アブラハムが夜、
天幕の中で
鬱々と老いたる自分自身を
見つめ続けていたとき、
主なる神様は彼を
天幕の外に連れ出しました。
そして「さあ目を上げなさい」と、
満天の星空を仰がせてくださいました。
【小さな祈り】
天の父、主なる神よ。
わたしの魂を
生き返らせてください。
鬱々とワタシの沼にはまり
ゆっくりと沈み続けている
わたしを、
そよ風ふく青草の原に、
憩いの水際に、
連れ出してください。
*詩編103:1-5の言葉を
声を出して読みながら
心を主に向けよう!!
わがたましいよ。
主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。
主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを
何一つ忘れるな。
主は、
あなたのすべての咎を赦し、
あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、
あなたに、
恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を
良いもので満たされる。
あなたの若さは、
わしのように、新しくなる。
【詩編103:1-5[新改訳]】
アーメン!!主よ信じます!
主イエス・キリストの御名によって、
アーメン!
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