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  • 執筆者の写真元気牧師

2月7日(火)



【聖句】


「今や、主は私たちに

 広い所を与えて、

 私たちがこの地で

 ふえるようにしてくださった。」


(旧約聖書・創世記26章22節[新改訳])



【黙想】


アブラハムの祝福を

受け継いだ息子イサク。


父アブラハム同様寄留者として

生きていた彼は、

ペリシテの地に種を蒔くと

100倍の収穫を得ることができました。


しかし神様の祝福を受けて栄える

イサクは、その地の住民の妬みを

買うことになりました。


ペリシテ人たちは、

イサクを祝福しているのは主であり、

主がイサクと共にいることを

知らなかったので

イサクに敵対するようになり、

イサクの僕たちが掘った井戸を

次々と埋めて塞いだり、

奪い取ったりしました。


荒れ野生活において

井戸は命にかかわる重要なもの。

水を得るために

適切な場所を見つけ、

大変な苦労をして

掘り抜かねばなりません。


そんな井戸を、

何度も何度もふさがれ、奪われ、

その場所から追い出されたイサク。


どんなに辛く悔しかったことでしょう。


私たちも同じような経験を

することがあるかもしれません。


何度やっても徒労に終わる。

どんなに頑張っても報われない。

誰かからいわれのない

迫害や攻撃を受ける・・・。


いやになりますよね。


しかしイサクは

そのような仕打ちにあっても

決して相手と戦おうとはせず、

井戸を渡して次の場所に行きます。


その場所で精一杯尽くし、

もう一度井戸を掘る。


その場所も奪われたなら、

奪いかえそうとはせず、

次の場所へ行き、

もう一度、井戸を掘り抜くのです。


黙々と。


しかし、この「黙々と」の背後には

人知れず叫び続けた祈りの戦い、

祈りの日々、

祈りの積み重ねがあったことでしょう。


アブラハムがそうであったように、

イサクもまた、

試練の中で主の真実を知るように

されていったのです。


兄弟姉妹。

せっかく堀った井戸を

埋められても、

ようやく得た井戸を

奪われても、

次の場所に行き、

次の井戸を掘ろうではありませんか。


イサクは最後、

ようやく井戸を得ることができました。


「今や、主は私たちに

 広い所を与えて、

 私たちがこの地で

 ふえるようにしてくださった。」


あなたの労苦は報われます。

主は必ずあなたを

広いところに連れ出し、

栄えさせてくださいます。


一つの場所、

一つの井戸が

ダメだったからといって、

すべてが終わったわけではありません。


一つの井戸にしがみつかず、

ひとりの御神に身を委ね、

さあ、次へ。



【小さな祈り】


天の父なる神様。

イサクはどんなにか

辛かったことでしょう。

祝福の約束をいただいているのに

やることなすこと、

うまくいかない日々。

でもきっと、

そのようなときこそ

ぐいとあなたに近づく、

近づかねばならない日々。

つらいけれど、

苦しいけれど、

私もまた

あなたに向かって叫びつつ、

叫んだ分だけ

黙々と、この井戸を

掘り続けようと思います。

主がわたしに、

広いところを与え

私を栄えさせてくださることを信じます。

*あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。












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