【聖句】
「わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、
まだ日のあるうちに行わねばならない。」
(新約聖書・ヨハネによる福音書9章4節)
【黙想】
生まれつき目の見えない人を見た弟子たちが主イエスに
「だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」と
問うたところからはじまる開眼の奇跡のエピソード。
イエスさまの弟子たちもまた霊の目をふさがれており、
生まれつき目の見えない男の姿を
イエスさまが見るように見ることができていなかったのです。
それゆえイエスさまは、
この男の目を開くことを通して、
弟子たちの目も開こうとお考えになったのです。
「本人が罪を犯したからでも、
両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現れるためである。」
この言葉、本当に強烈なカウンターパンチだったと思います。
イエスさまは弟子たちに、
ご自分が見ているように見てほしかったのです。
神はこのように見るのだ、と。
神のように見てほしいのだ、と。
哀れで不幸で、闇の中に座り込んでいる物乞い。
人は過去を見る。罪を見る。なぜ、と問う。
しかしイエス・キリストは、
彼のすべてをご存じの上で
彼の未来を見、神のご計画の中にある彼を見るのです。
「わたしはお前たちにも、そのように見てほしいのだ。」
そんなイエスさまの思いが伝わってくる思いがします。
この場面でイエスさまは、
無理解な弟子たちにむかって
「わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、
まだ日のあるうちに行わねばならない」と言われました。
わたしたち、とおっしゃいました。
イエスさまご自身と、弟子たちをひとまとめにして
「わたしたち」と言われたのです。
弟子たちは嬉しかったと思います。
「わたしたち。」
イエスさまは、私やあなたにも同じように呼びかけてくださるでしょう。
「わたしたち」と。
イエスさまに「わたしたち」と言っていただいているのですから、
わたしたちもまたイエスさまの見ておられるように見、
イエスさまが見ておられるものを見たい。
俄然、私たちの祈りが変えられていきます。
「イエスさま、彼は何の罪でこうなったのですか」ではなく、
「イエスさま、神様はどんなご計画を持っておられるのですか」
「イエスさま、これからどんな神の業が行われるのですか」と。
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