【聖句】
そこで、彼は行って洗い、
目が見えるようになって、帰って来た。
(新約聖書・ヨハネによる福音書9章7節)
【黙想】
昨日の説教で語り切れなかった部分。
主イエスに目を留められた、
生まれつき目の見えない人。
彼はイエスさまの言葉を聞いたのです。
・・・・
本人が罪を犯したからでも、
両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現れるためである。
・・・・
生まれて初めて聞いた言葉!
想像すらできなかった新しい世界!
・・・・
こう言ってから、イエスは地面に唾をし、
唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。
そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。
そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。
・・・・
ここでもっとも大切なことは、
この生まれつき目の見えない人が、
主イエスの言われたとおりにした、ということです。
神の業がこの人に現われる。
そのために求められるただ一つのことは、
主のおっしゃったとおりにする、ということです。
いつかは私にも彼のような素晴らしい神の業が起こるのかしら、と思いながら、
昨日までと同じように生きていたら、何も起こりません。
奇跡は、主の御業です。
しかし、奇跡を受けとるための準備は、
私たちの仕事です。
主は決して、できないことをしなさい、とはお求めになりません。
親は、ハイハイしている赤ん坊に、
立って歩け!と求めることはしません。
同じように主は、
私たちに、できないことを命じられない。
誰にもできないようなすごいことをせよ、とはおっしゃらない。
主はあなたができる精一杯のことを、
信仰をもって、なすように招いているのです。
「シロアムの池にいって洗いなさい」。
そこから池まではおよそ1キロ弱の下り坂です。
確かに、目の見えない人にとっては簡単ではない道のりです。
でも、不可能な道のりではありません。
彼の持っているものを精一杯ささげるならば、
彼が神の業の表れを信じるならば、
必ず歩き通せる道のりなのです。
あなたの目の前にも、
主が開いてくださる道があります。
主が歩きださせてくださる道があります。
歩けない道ではありません。
信仰をもって一歩踏み出すなら、必ず歩ける道です。
そしてそうやって踏みだすなら、
その一歩を主は祝福し、
必ず御業を表してくださるのです。
そこで、彼は行って洗い、
目が見えるようになって、帰って来た。
これこそ、
主イエスの弟子たちの姿です。
大切なことをもう一度申し上げます。
主の奇跡を体験したいのなら、
誰にもできないことをする、ではなく、
主のおっしゃったことをたんたんと、行うのです。
聞き従うのです。
さあ、今度はあなたの番です。
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