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2月5日(月)

  • 執筆者の写真: 元気牧師
    元気牧師
  • 2024年2月5日
  • 読了時間: 3分



【聖句】


そこで、彼は行って洗い、

目が見えるようになって、帰って来た。


(新約聖書・ヨハネによる福音書9章7節)



【黙想】


昨日の説教で語り切れなかった部分。


主イエスに目を留められた、

生まれつき目の見えない人。


彼はイエスさまの言葉を聞いたのです。


・・・・

本人が罪を犯したからでも、

両親が罪を犯したからでもない。

神の業がこの人に現れるためである。

・・・・


生まれて初めて聞いた言葉!

想像すらできなかった新しい世界!


・・・・

こう言ってから、イエスは地面に唾をし、

唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。

そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。


そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。

・・・・


ここでもっとも大切なことは、

この生まれつき目の見えない人が、

主イエスの言われたとおりにした、ということです。

 

神の業がこの人に現われる。

 

そのために求められるただ一つのことは、

主のおっしゃったとおりにする、ということです。

 

いつかは私にも彼のような素晴らしい神の業が起こるのかしら、と思いながら、

昨日までと同じように生きていたら、何も起こりません。

 

奇跡は、主の御業です。

しかし、奇跡を受けとるための準備は、

私たちの仕事です。

  

主は決して、できないことをしなさい、とはお求めになりません。

 

親は、ハイハイしている赤ん坊に、

立って歩け!と求めることはしません。

 

同じように主は、

私たちに、できないことを命じられない。

誰にもできないようなすごいことをせよ、とはおっしゃらない。

 

主はあなたができる精一杯のことを、

信仰をもって、なすように招いているのです。

 

「シロアムの池にいって洗いなさい」。

 

そこから池まではおよそ1キロ弱の下り坂です。

確かに、目の見えない人にとっては簡単ではない道のりです。

 

でも、不可能な道のりではありません。

 

彼の持っているものを精一杯ささげるならば、

彼が神の業の表れを信じるならば、

必ず歩き通せる道のりなのです。

 

あなたの目の前にも、

主が開いてくださる道があります。

 

主が歩きださせてくださる道があります。

 

歩けない道ではありません。

信仰をもって一歩踏み出すなら、必ず歩ける道です。

 

そしてそうやって踏みだすなら、

その一歩を主は祝福し、

必ず御業を表してくださるのです。

 

そこで、彼は行って洗い、

目が見えるようになって、帰って来た。

 

これこそ、

主イエスの弟子たちの姿です。



大切なことをもう一度申し上げます。


主の奇跡を体験したいのなら、

誰にもできないことをする、ではなく、

主のおっしゃったことをたんたんと、行うのです。

聞き従うのです。



さあ、今度はあなたの番です。







 
 
 

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