【聖句】
わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、
死ぬとすれば主のために死ぬのです。
従って、生きるにしても、死ぬにしても、
わたしたちは主のものです。
(新約聖書・ローマの信徒への手紙14章8節)
【黙想】
この聖句を読むたびに、
『ハイデルベルク信仰問答』の冒頭の言葉を思い出します。
どうか今日は、この問答の言葉をじっくりと味わってください。
《問1》
生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。
《答え》
わたしがわたし自身のものではなく、
体も魂も、生きるにも死ぬにも、
わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。
この方は御自分の尊い血をもってわたしのすべての罪を完全に償い、
悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。
また、天にいますわたしの父の御旨でなければ
髪の毛一本も落ちることができないほどに、
わたしを守っていてくださいます。
実に万事がわたしの救いのために働くのです。
そうしてまた、御自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し、
今から後この方のために生きることを心から喜び
またそれにふさわしくなるように、整えてもくださるのです。
この「問1」の問答を巡って最近読んだある牧師の説教の結びの言葉が、
心に残っています。
それはこんな言葉です。
人生の問題を神さまが過去、現在、将来に渡って、初めから終わりまで責任をもってくださる。だからわたしたちは安心して神さまに預けたらいい。自分のものだから自分で解決しようと思わなくていい。もう既に神さまが父、子、聖霊を総動員して、わたしの人生を御自分のものとしっかりと握りしめてくださっている。それがわたしたちの本当の慰め、拠り所なのです。
昨夜NHKスペシャルを観ました。認知症の妻とその夫の話でした。夫が教会の牧師でもあったのでより親しみを持って観ました。特にコロナ禍の三年は面会ができず、病状も進行して、家族は様々な葛藤があります。おそらく同じ思いを抱えている人はたくさんおられるでしょう。わたしも自分のこととして観ました。もちろん病気が治ることはありません。確実に身体は衰えていきます。家族のこともわからなくなる。でもそのありのままを受け止めていく姿に清々しく爽やかな気持ちになりました。これまでは相手に期待している自分がいました。「自分だとわかっていてほしい」「笑顔を見せてほしい」それが叶わなくなることに苛立ち、辛くなる。でもあなたがわからなくなってもわたしがわかっているからいい。あなたが忘れてしまってもわたしが忘れないからいい。そのままでいい。そういう受け止め方へと変えられていく。それが「キリストのもの」とされた、人生の重荷を主に委ねた人の生き方なのだと思います。
熊本・錦ヶ丘教会 川島直道牧師の説教より
もう既に神さまが父、子、聖霊を総動員して、
わたしの人生を御自分のものとしっかりと握りしめてくださっている。
―なんて力強い言葉でしょうか!
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