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執筆者の写真元気牧師

2月3日(金)



【聖句】


イサクは、

妻に子供ができなかったので、

妻のために主に祈った。


(旧約聖書・創世記25章21節)



【黙想】


イサクはアブラハムの子、

祝福を受け継ぐ約束の息子です。


アブラハムの子孫は祝福され、

満天の星のように増え広がると

主なる神様が約束してくださっていました。


しかし、父アブラハムもそうでしたが、

その息子イサクもまた、

子が与えられなかったと聖書は言うのです。


そのためイサクは、

必死になって祈りに祈りました。

妻に、自分たちに、

子が与えられるようにと。


そして主は

彼の祈りを受け入れられ、

イサクと妻リベカの間には

ようやく双子の男の子が 

与えられたのでした。


聖書にはこのように記されています。


 その祈りは主に聞き入れられ、

妻リベカは身ごもった。

 …

 リベカが二人を産んだとき、

 イサクは六十歳であった。 



この何気ない記述を読んで、

わたしは驚きました。


なぜなら、

イサクとリベカが結婚したのは、

イサクが40歳のときだったと

聖書に書かれていたからです。


すなわち約束の子イサクに

子が与えられるまでに、

実に20年もの月日が

経過したということになるのです!


私たちは、

彼の父アブラハムが

イサクをもうけるまでにも

実に25年という月日が

経過していたということを

知っていますが、

イサクもまた

20年もの試練の日々を経験したのです。



この期間は、はたして

何のための期間なのでしょうか。



明らかな事。

それは、この期間が彼らを

「祈りの人」にしたに違いないということです。


この期間が彼らと神様との

関係を深めたに違いないということです。


すなわち、

この期間が彼らを

祝福を受け継ぐ器に作り変え、

練り清めたに違いないということです。



兄弟姉妹、

主から祝福の約束をいただいたということは、

寝ていても祝福が落ちてくる

ということを意味するのではありません。


祝福を受け継ぐために、

私たちは祈りの人とされる必要があります。


そのために、

主は私たちに「試練」をお与えるになる。

言い換えれば、

主は意味も目的もなく

試練をお与えになることはないということです。


最後に、

新約聖書ヘブライ人への手紙からの一節を。



 すべての訓練は、

 当座は、喜ばしいものとは思われず、

 むしろ悲しいものと思われる。

 しかし後になれば、

 それによって鍛えられる者に、

 平安な義の実を結ばせるようになる。


 (ヘブライ人への手紙12章11節[口語訳])



【小さな祈り】


天の父よ。

アブラハムがイサクを与えられるまでの25年。

イサクがヤコブを与えられるまでの20年。

そしてヤコブが父母のもとを離れ、

再び帰ってくるまでの20年。

あなたは祝福を受け継ぐ者たちに

試練の時をお与えになりました。

それらの月日に、

彼らはあなたに砕かれ、

あなたに近づき、

あなたの真実を味わい知ったのです。

主よどうか、

わたしがあなたから荒れ野の日々を与えられたときには、

信仰の父祖の生涯を思い起こし、

アブラハムの神、

イサクの神、

ヤコブの神の真実を慕い求めることを得させてください。

*あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。





















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