【聖句】
身を横たえて眠り わたしはまた、目覚めます。
主が支えていてくださいます。
いかに多くの民に包囲されても決して恐れません。
(旧約聖書・詩編3編6,7節)
【黙想】
詩編3編。
時折、立ち返りたくなる詩編です。
詩編3編は、息子アブサロムによる裏切りと反乱という
ダビデ王の人生で最も辛く困難な出来事に直面していた時に書かれました。 アブサロムは非常に魅力的で、人々からの支持も厚い人物でした。
しかし、彼は権力を狙い、自分を王と宣言し、
エルサレムで父ダビデに反乱を起こしたのです。 その人望ゆえ、彼に従う者はことのほか多く、 ダビデは自らの命と王国の安定を守るためにエルサレムを逃れる決断をせざるを得ませんでした。 愛する息子の裏切り。
そして、信頼していた、味方だと思っていた多くの部下、側近たちの裏切り…。
このときの逃避行は、なんと辛く痛ましい、
悲しみに満ちたものだったことでしょうか。
詩編3編はこんな嘆きで始まっています。
主よ、わたしを苦しめる者は
どこまで増えるのでしょうか。
多くの者がわたしに立ち向かい
多くの者がわたしに言います
「彼に神の救いなどあるものか」と。
ここで私は、はたと気づかされるのです。
彼は確かに嘆いている、叫んでいる。
でもその叫びは、ただ空中に放散されて終わりのものではない。
「主よ!」と彼は呼びかけています。
主に向かって叫ぶ!
当たり前のことでしょうか。
案外私たちは、嘆きを、空気中に放散していないでしょうか。
しっかりと、しっかりと、
主に向かって叫んでいるでしょうか。
ちゃんと、主に向かって叫びましょう。
詩編のあちこちに、はっきり書かれています。
「主は、わたしの叫びを聞いてくださる」と。
叫ぶことしかできない、言葉にならない祈り。
うんうん呻るしかできないときだってあるじゃないですか。
そのうめきを、うなりを、
主に聞いていただきましょう。
祈りを、なんだかカッコいいもの、難しいものだって思わないでほしい。
難しいことはいいから、
細かいことは気にしなくていいから、
辛い時には、叫んだらいい。うめいたらいい。
けもののようにうなり、赤子のようにさけび、
駄々っ子のように地団駄を踏んだらいいのです。
そうやって主の御前にあるがまんまの思いを注ぎだしていくとき、
自分の袋が空っぽになるまで注ぎつくしていくとき、
不思議な平安が広がっていくのを体験します。
身を横たえて眠り わたしはまた、目覚めます。
主が支えていてくださいます。
いかに多くの民に包囲されても決して恐れません。
忍耐と、我慢は、違います。 忍耐は、叫びながら、呻きながら、
主のそばにいることです。
***お知らせ*** 牧会上の都合で、向こう1週間、更新できない日があるかもしれません。気長に待っていていただけると嬉しいです。
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