【聖句】
心を尽くして主に拠り頼め。
自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
(旧約聖書・箴言3章5,6節)新改訳
【黙想】
神学校最終学年になると、
秋頃には自分が遣わされる任地を知らされ
皆が新しい出発に向けて期待と不安、
喜びと恐れに満たされる日々を過ごすことになります。
そのような時期になると、
出席教会や奉仕教会、母教会から、
「お餞別」をいただくこともあります。
お餞別をいただいた神学生は、
それを何に使うと思いますか。
十中八九、「注解書を揃える」ことに使うのです。
キリスト教書は高いんです。
まして注解書は何冊ものセットですから、
貧しい神学生には手が届きません。
ですから、ここぞとばかりに○○注解書シリーズを揃えようとするのです。
皆、不安なんです。
毎週の説教準備。
本当に自分にできるのか、と。
注解書を買う。
それはひとえに「安心したいから」なのではないかと私は思います。
かく言う私も、やっぱり注解書を買いましたから・・・。
話は変わりますが・・。
ある神学校の夏期伝道の話を聞いたことがあります。
もう今はそんなことをやっていないでしょうが、
その昔、その神学校の夏期伝道は、
ほぼ無一文で地方に放り出されたと聞きます。
本当に、何も持たずに遣わされる。
その時期が近づくと、
学生たちの顔は皆だんだんと青ざめていく。
恐れと不安がどうしても募る。
しかし、その「過酷な」夏期伝道が終わると、
神学校に再び帰ってくる学生たちの顔は
皆一様に光り輝いているというのです。
理由は一つしかありません。
何も持たずに出かけた彼らが、
生きて働かれる神に養われ、
生きて働かれる神の御業を目撃したからです。
注解書の段ボールを抱えて任地へ赴く。
何も持たずに出かけていく。
どちらが正しいか、正解か、わかりません。
どっちも正解なんでしょう。
でも、わたしは、何も持たずに出かけて
生ける神に出会った人々を本当にうらやましく思うのです。
心を尽くして主に拠り頼め。
自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
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