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執筆者の写真元気牧師

2月22日(木)



【聖句】


心を尽くして主に拠り頼め。

自分の悟りにたよるな。

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。

そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。


(旧約聖書・箴言3章5,6節)新改訳



【黙想】


神学校最終学年になると、

秋頃には自分が遣わされる任地を知らされ

皆が新しい出発に向けて期待と不安、

喜びと恐れに満たされる日々を過ごすことになります。


そのような時期になると、

出席教会や奉仕教会、母教会から、

「お餞別」をいただくこともあります。


お餞別をいただいた神学生は、

それを何に使うと思いますか。


十中八九、「注解書を揃える」ことに使うのです。


キリスト教書は高いんです。

まして注解書は何冊ものセットですから、

貧しい神学生には手が届きません。


ですから、ここぞとばかりに○○注解書シリーズを揃えようとするのです。



皆、不安なんです。

毎週の説教準備。

本当に自分にできるのか、と。


注解書を買う。

それはひとえに「安心したいから」なのではないかと私は思います。

かく言う私も、やっぱり注解書を買いましたから・・・。




話は変わりますが・・。

ある神学校の夏期伝道の話を聞いたことがあります。


もう今はそんなことをやっていないでしょうが、

その昔、その神学校の夏期伝道は、

ほぼ無一文で地方に放り出されたと聞きます。


本当に、何も持たずに遣わされる。


その時期が近づくと、

学生たちの顔は皆だんだんと青ざめていく。

恐れと不安がどうしても募る。


しかし、その「過酷な」夏期伝道が終わると、

神学校に再び帰ってくる学生たちの顔は

皆一様に光り輝いているというのです。


理由は一つしかありません。


何も持たずに出かけた彼らが、

生きて働かれる神に養われ、

生きて働かれる神の御業を目撃したからです。



注解書の段ボールを抱えて任地へ赴く。

何も持たずに出かけていく。


どちらが正しいか、正解か、わかりません。

どっちも正解なんでしょう。



でも、わたしは、何も持たずに出かけて

生ける神に出会った人々を本当にうらやましく思うのです。


 心を尽くして主に拠り頼め。

 自分の悟りにたよるな。

 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。

 そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。










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