【聖句】
力を捨てよ、知れ、わたしは神。
(旧約聖書・詩編46編11節)
【黙想】
先日、重い重い腰を上げて、
ある場所に行きました。
そのある場所とは・・・。
「歯医者さん」です。
やっぱり、気が進みませんよね、歯医者さん。
でも今、頑張って通っています・・・;
で、歯医者さんに言われて驚いたことがあります。
「寝ているときに、結構、歯を食いしばっているようですよ」って。
まったく気づいていませんでした。
でも、どうやらかなり長い期間、
食いしばりがあったような形跡があるというのです。
食いしばりの原因はいろいろあるようですが、
その中の一つには「ストレス」っていうのもあるらしい。
自分では意識していない、気づいていない、
心のこわばり、力み、っていうのがあるのかもしれません。
牧師になったばかりのころはしばしば、
日曜日の説教壇に立っているのに説教が出来上がっていない、とか、
もう礼拝の前奏が鳴っているのに寝間着姿で、
いそいでシャツに着替えようとするも何度やってもボタンがズレる、とか、
一生懸命語っているのに、誰一人として聞いていない、とか、
そういう夢ばかりを見ていました。
伊勢に来てからは、園長の仕事が加わり、
常に大小いろいろなタスクに追いかけられているような日々で
やっぱり「力み」っていうのがあるのだと思います。
牧師の仕事って、
よく考えると、ヤバい仕事です。
「神の言葉を取り次ぐ」という完全に不可能な事業を、毎週、毎週、迫られるのです。
常に追い詰められています。
常に途方に暮れています。
常に無力感を感じています。
でも、これこそが牧師の仕事の味噌。
そこで「力み」を捨てきって、
一切合切を聖霊に委ねてしまえばいいのです。
自分の力を捨てること。
自分の力に頼らないこと。
自分の力でやりぬこうとしないこと。
牧師の仕事は、きっと、どれだけ力を捨てることができるかの勝負。
どれだけ聖霊だけに頼り切るかという一点にかかっている。
でもそれは、牧師だけではなく、
全クリスチャンの日々の生活とてまったくもって同じこと。
私たちの戦いは、
力に力を重ねていくっていう戦いではなく、
限りなく己の力を手放すことにチャレンジする戦い。
どれだけ高性能のエンジンを積むかではなく。、
どれだけ聖霊の風を受けて進む帆船になりれるかっていう話。
やめよ、静まれ、力を捨てよ。
気づいたら力んでいる私に、
無意識のうちに呼吸が浅くなっている私に、
主の御声が響く。
深く、深く、息をしよう。
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