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執筆者の写真元気牧師

2月17日(土)



【聖句】


イエスは言われた。

「『できれば』と言うか。 信じる者には何でもできる。」


(新約聖書・マルコによる福音書9章23節)



【黙想】


祈るとき、願うとき、言葉に出すか出さないかは別として、

心のどこかで「できれば」という保険をかけていないだろうか。


もちろん、私たちは神様に自分の願いを押し付けるべきではないし、

神様に「あなたは○○すべきです」などと申し上げることもできない。


けれども、神様に向かって「できれば」と申し上げることもまた、

同じようにふさわしくないのではないだろうか。



アメリカの長老教会の牧師で、

伝道団体も立ち上げて主に仕えたA・B・シンプソンが語った次の言葉を

ゆっくりと読んでみてほしい。


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ある教役者がスポルジョン(英国の著名な説教者)に向かって、4年の間たゆまず努力してきたが、伝道を通して一つの実を結ぶことができなかったので自分は伝道者の職を捨てねばならないと思う、と訴えた。するとスポルジョンは彼に「君はご奉仕のたびに回心する者が生まれることを期待して説教しましたか」と問うた。彼は、自分がそういうことは考えず、ただ熱心に願っていたにもかかわらず回心者が与えられないのを不思議に思っていたのだ、と答えた。スポルジョンは彼に言った。「君は、それを期待しなかったから受けることができなかったのです。神が祝福を与えられる条件は、信仰です。私たちの救いに信仰が必要であるのと同じように、私たちの働きにも信仰が必要なのです。」これは実に真実である。望んでいる結果が得られるかどうかは、必死の努力に比例するものではない。それは神の御言葉をあがめること、心の中にあるご自身の霊によって働くことと、御力に対する単純な信仰に比例するのである。

翻訳の関係で少し文章が分かりづらいかもしれないが、

要は「あなたは本当に神に期待して祈っているか」ということだと思う。


胸に手をあてて考えてみよう。

わたしは本当に神様に期待しているだろうか。

それとも心の中で「できれば」と思っていないだろうか。



私たちは、こう祈るべきだと思う。


主よ、わたしは○○を祈り願います。

わたしはあなたにお出来にならないことはないことを知っています。

無論、あなたには私が祈り願っている○○をなすことがお出来になります。

私はあなたの全能の御力を信じ、

あなたが私の祈りを聞いてくださっていることをも信じています。

どうか私の祈りに応えて、

私の期待をはるかに越えて、

あなたの御業をなしてください。・・・・



祈りの中で、

「できれば」とは言わず、思わず、

「あなたにはお出来になります!」と心から信頼すること。

そのうえで、主が最善をなしてくださると信じること―。


う~ん、まだうまく言葉にしきれていない気がします・・・。


神様は、私たちの期待をはるかに越えてかなえてくださる方ですが、

私たちがもはや期待せず祈っているだけだとしたら、

主の驚くべき御業を目撃することはできません。


間を埋めるように頑張って引き延ばすような祈りではなく、

率直に、単刀直入に、

遠回りしないで祈りこむことができるようになりたいですね。



















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