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2月15日(木)

  • 執筆者の写真: 元気牧師
    元気牧師
  • 2024年2月15日
  • 読了時間: 3分


【聖句】


神は、高慢な者を敵とし、

謙遜な者には恵みをお与えになる。


(新約聖書・ヤコブの手紙4章6節)



【黙想】


神様が最も好まれる品性は、

「謙遜」ではないかと思います。


逆に、神様が最もお嫌いになる性質は、

「高慢」であると思います。



思い出す聖書のエピソードがあります。


マルコ7章24節以下の、

シリア・フェニキアの女のエピソード。


彼女は悪霊に取りつかれた娘を助けるために

異邦人でありながらイエス・キリストの前に出てひれ伏しました。


するとイエスさまは、

ひれ伏して懇願する母親に向かってこう言いました。


・・・・

「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。

子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」

・・・・


異邦人の女の願いをはねのけ、

彼女を「小犬」呼ばわりしたイエスさま。


なんだか冷たい、イエスさまらしからぬ言葉に聞こえますね。



女はどう応じたでしょうか。


・・・・

ところが、女は答えて言った。

「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」

・・・・


並行記事のマタイ15:27では、

女が開口一番「主よ、ごもっともです!」と答えています。


主よ、ごもっともです。

しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです、と。



この言葉を聞いたイエスさまは、

彼女の信仰を受け取り、癒しをなさったのでした。




主イエスは最初どうしてこれほど冷淡な言葉を投げられたのでしょうか。


私たちは主イエスの御心を思わず、

表面的な言葉だけで「冷淡」と決めつけるのは間違っているでしょう。


主イエスはきっと、

この女に「謙遜」を求めたのです。

あるいは「謙遜」を引き出そう、与えようとなさったのです。



彼女の心の内にある僅かな高慢のカケラをも打ち砕くかのように、

主はあえて彼女を退け、

彼女を「小犬」呼ばわりしたのではないでしょうか。


なにを!という思いをすべて投げ捨てて

自分自身には癒しを受け取る資格がなく、

自分の内には力や確信の根拠が何もないことを認め、

ただただ主イエスのみに望みを置くように・・・。



しばしば主は、

私たちの高慢のカケラを打ち砕こうとなさいます。


なかなか祈りが聞かれないとき、

主が私達の祈りを退けておられるように思えるとき、

それは、立ち止まって自分自身の心を見つめ直すべきときかもしれません。


自分自身でも気づかない高慢が忍び込んできていないか。

自分ではまったく身に覚えのない部分に、

実は高ぶりのカケラが残っていることがあるのです。


祈りが聞かれないときこそ、

「謙遜」になって、ひれ伏すべきです。

小犬が主人に絶対服従の姿勢を取るように。






















 
 
 

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