【聖句】
カレブは民を静め、モーセに向かって進言した。
「断然上って行くべきです。
そこを占領しましょう。必ず勝てます。」
(旧約聖書・民数記13章30節)
【黙想】
エジプトを出たイスラエルの民は、
約束の地カナンに向かいました。
彼らがパランの荒れ野に宿営しているとき、
主はモーセに「人を遣わして、わたしが与えようとしている土地を偵察させなさい」と言われました。
そこでモーセは、12部族の代表者12人を選び、
カナン偵察に派遣したのです。
彼らが見たカナンの地は、
ひと房を二人で担がねばならないほどのぶどうがなるような地で、
いちじくにざくろがたわわに実り、
まさに乳と蜜の流れる地でした。
しかしその地にはすでに町があり、強そうな住民がいたのです。
12人の偵察隊のうち10人は言いました。
「ここを占領するのは無理だ。
ここに住民はみな巨人のように見える。
我々は、自分がいなごのように小さく見えるではないか。」
一方で、残りの2人はこう言いました。
「断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。」
さて、民が従ったのはどちらの意見だったでしょうか。
それは10人の消極的な意見のほうです。
というか、この10人は、恐れに取りつかれ、
悲観的になり、民の間に悪い情報、マイナスの噂を流したのです。
そして民は、このマイナスの噂に流されてしまったのです。
兄弟姉妹、
10人と、2人。
どちらが「より現実的」だったと思いますか。
たぶん10人のほうです。
見えるところ「だけ」で判断すれば、
10人のほうが妥当な分析結果だったのだと思います。
一方、残りの2人のほうは、
「主がこの地を与える」とおっしゃった約束から物事を見ていました。
確かに困難はあるだろう。
でも、主が与えると約束された土地は、
確かに主が言われる通り最高の土地だったじゃないか。
さあ、出かけていって、手に入れようじゃないか。
兄弟姉妹。
確かに目に見えるものから受け取る印象は強烈です。
目に映る光景を前にしては、
主の御言葉の約束など跡形もなく忘れ去ってしまいそうになるでしょう。
たとえ御言葉を覚えていても、
「ありえない!」と吐いてごみ箱に捨ててしまうかもしれません。
確かに、現実に照らし合わせて神の約束を理解しようとすれば、
「ありえない、無理だ」で終わりでしょう。
でも、私たちは、現実に照らし合わせて御言葉を理解するのではなく、
御言葉に照らし合わせて現実を理解しようとするべきなのです。
現実の状況によって主の約束を解釈してはいけません。
むしろ主の約束から、現実のほうを解釈すべきなのです。
主の約束を握りながら目に映る現実を理解した2人は、
現実の困難さを目の当たりにしつつ、
その困難を「越えられる」と信じました。
なぜなら、「その土地を与える」というのが主の約束である以上、
すべての障害は必ず主が取り除き、乗り越えさせてくださるはずだからです。
思い出す讃美歌があります。
聖歌539番『見ゆるところによらずして』
見ゆるところに よらずして
見ゆるところは いかなるも
おのが聖きを もて誓う
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