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執筆者の写真元気牧師

12月7日(水)




【聖句】


「あなたは、どこにいるのか。」


(旧約聖書・創世記3章9節[新改訳])



【黙想】


よく知られたエピソードかもしれません。


最初の人間アダムとエバが

蛇にそそのかされて

「食べてはいけない」と言われていた園の中央の木の実を

取って食べてしまう。


すると彼らは、

自分たちが裸であることに気づき

腰を葉っぱで覆い、

園の木々の後ろに身を隠すのです。


その後どうなったか。

聖書を読んでみましょう。


そよ風の吹くころ、

 彼らは園を歩き回られる

 神である主の声を聞いた。

 それで人とその妻は、

 神である主の御顔を避けて

 園の木の間に身を隠した。

 神である主は、

 人に呼びかけ、

 彼に仰せられた。

 「あなたは、どこにいるのか。」

 彼は答えた。

 「私は園で、

 あなたの声を聞きました。

 それで私は裸なので、

 恐れて、隠れました。」


神様は、園の中を

歩き回っておられた。


愛する者たちが

急にいなくなったので

必死に探しまわっている。

そんな雰囲気を感じさせられます。


無論、神様は彼らがどこにいるのか

ご存じだったはずです。

きっと彼らのほうから

出てきてほしかったのだと思う。


わたしはここです。

神様、ごめんなさい!


これで良かったのだと思う。

でも、彼らは出てこられなかった。


「私は裸です…」

「恐ろしくて…」と

彼らは言っています。

葉っぱで体を覆っているのに、

わたしは裸だ、と言うのです。


神様から離れたら、

どれだけ着飾っても

身を覆っても

決して平安は訪れないのです。


そんな彼らに向かって

神様はこうおっしゃいます。


 「あなたは、どこにいるのか。」


この神様の悲しみの叫び。

憐み深い声。


きっと私たちが

さまよい出て

気づかないうちに神さまから

離れてしまっている時にも、

この御声が聞こえてくるのです。


 「あなたは、今どこにいるのか。」


この声が聞こえたら、

立ちどまってください。


きっとあなたは

神さまを見失い、

自分を見失って

しゃがみ込んでいるはずです。


この声がしたら

どんな顔でも、

どんな罪深くてもいい、

あなたは神さまのもとに

帰ってください。

まっすぐに。

いいから帰りなさい。


帰らない、

帰れない理由はすべて

脇に置いておいて大丈夫です。


父のもとに帰って

「お父さん、

 私はここにいます」と

申し上げてください。


そこから先、

何をどう言えばいいか、

どうすればいいかは、

そのとき神様が

ちゃんと促してくれます。


あなたがまずなすべきは

帰ること。そして、

「父よ、わたしはここです」と言う。


これだけです。


お願いです。

どうか難しく考えないで、

やってみてください。



*祈りの前に*

「あなたは、どこにいるのか。」

この呼びかけの前に、

隠れたい思いもあるでしょうか。

こんな自分でいいのかと

思うでしょうか。

父なる神様が

望んでおられるのは、

あなたがあなたのままで

ご自身のもとに

帰ってくることです。

あの放蕩息子の父親は

全財産を使い果たし、

ボロを着て、

豚小屋で汚物まみれになって

帰ってきた息子を、

「帰ってきた」という理由だけで

抱きしめ、口づけし、

喜び迎えたではありませんか。


あなたも、今、帰るのです。

どんな姿でも良いですから。


次の短い祈りを、

心をこめて、

声に出して、

ささげてください。

何かが変わりますから。



【小さな祈り】


天のお父さま。

わたしは、ここにいます!


こんなわたしを

愛してくださって、

感謝します!


アーメン。









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