【聖句】
六か月目に、天使ガブリエルは、
ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけである
おとめのところに遣わされたのである。
そのおとめの名はマリアといった。
(新約聖書・ルカによる福音書1章26~27節)
【黙想】
主のご降誕を待ち望む待降節、
アドベントに入りました。
心静かに、祈りを深めて、
このときを過ごしてまいりたい。
そのように願っておりますが、
一方で、このクリスマスの時期というのは、
一年で一番、教会が忙しくなりがちな、
あわただしくなりがちな時期でもあると思います。
カレンダーを見ながら、
バタバタと、どたばたと、いろいろなことがある。
ああ、もっとゆったりと、しんみりと、
クリスマスへの備えがしたいなあ、と憧れる。
皆さんも、
もしかしたら、そんなことを思われるかもしれません。
ただ、よく考えてみますと、
最初のクリスマス、
そのために用いられたマリアとヨセフ、
彼らのほうがよっぽど、ある意味ではドタバタだったのではいかと思います。
彼らの生活は結婚前から予定外の連続だったじゃないですか。
マリアが聖霊によって子を宿したことからはじまり、
思い描いていた結婚生活のスタートとは別の物語がはじまり、
バタバタといろいろなものを準備して、
さあ、なんとか準備できたぞと思ったところで
突然ローマ皇帝の命令が出て、
ナザレからベツレヘムまで、
高低差400メートル、距離150キロの道のりを、
臨月のマリアをロバに載せて、
恐らくヨセフが荷物を背負って、
旅しなければならなかった。
ようやくベツレヘムについたものの、
身重のマリアをかばっての旅、
他の人たちよりも到着がだいぶ遅れましたから、
宿屋がどこも一杯なのです。
疲労困憊しているマリアを休ませたいと思い、
ヨセフは走り回る。
やっとのことで、馬小屋に滑り込んで、
とにもかくにも、今夜はここで眠ろうと思っていた矢先、
マリアが産気づくのです。
まあ、こうやって聞くだけでも、
どう考えてもドタバタです。
実際は、もっとてんやわんやだったと思います。
何を申し上げたいか。
それでも救い主は、お生まれくださったということです。
来てくださった、ということです。
もちろんこれは、
バタバタ、ドタバタしていていい、という意味ではありません。
マリアとヨセフは、
いろんなことに翻弄されながらも、
決してあきらめず、
決して投げやりにならず、
できうる限りの備えをしました。
その、人間の目には十分とは言えないような、
しかし、精一杯供えられた、そのところに、
救い主は来てくださいました。
主は、立派な邸宅や、
完璧に準備された、
皴一つないシーツを愛されるのではありません。
主は主を信じ、主を愛するものが、
ばたばたと汗流して走り回って準備した馬小屋をいとおしまれ、
その汗をぬぐってくださるのです。
ですから兄弟姉妹、
静かにクリスマスを迎えらえるならそれも良いでしょう、
しかし、そうでなく、ドタバタとしてしまうとしても、
大丈夫です。安心して、ドタバタいたしましょう。
これからの一か月、
私たちなりの降誕劇を演じつつ、
私たちなりのクリスマスを、
主におささげしたいと思います。
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