【聖句】
わたしたちは主キリストに結ばれており、
キリストに対する信仰により、確信をもって、
大胆に神に近づくことができます。
(新約聖書・エフェソの信徒への手紙3章12節)
【黙想】
私たちはあまりにも縮こまっている!
イエスさまが十字架にかかってくださった、
その絶大なる恵みを過小評価している!
私たちはイエス様の十字架の贖いによって、
神の子とされているのです。
自分の義、自分の業、自分の功績によらず、
一切、すべて、百パーセント、
イエスさまのおかげで
私たちは神に愛される神の子とされているのです。
「神の子らしくしなくちゃ」と気負って、
「クリスチャンらしくしなきゃ」と縮こまって、
私たちは与えられている身分と立場を自ら投げ捨てている。
信仰を、その恵みを、
小さく、こじんまりしたものにしてしまっている。
神様にどう思われるか、なんて考えていたら、
礼拝することも、祈ることもできない。
もちろん「だから何でもあり~~」とだらしない、しまりのない姿勢は間違い。
でも、ビクビクして、自分の行動や振る舞いにばかり目くじらを立てているのも、
それと同じくらい大きな間違い。
ドイツの宗教改革者マルティン・ルターの言葉を思い出します。
キリスト者よ、大胆に罪を犯せ、
しかして更に大胆に悔い改め、大胆に祈れ。
大胆に罪を犯せ、とはドキッとする言葉です。
もちろん「どんどん罪を犯せ~!」と言っているのではありません。
あれはいいのか、これはだめなのか、と縮こまって、
亀のように手も足も縮こまって自由を失い、
喜びも感謝も忘れているキリスト者に、
ルターは気づかせたいのです。
もっと大きく信じ、のびのび大胆に祈っていいんだ、と。
もっと言えば、
失敗を恐れずにもっと大胆に祈っていいんだよ、ということです。
聖書の言葉を思い出します。
わたしたちは主キリストに結ばれており、
キリストに対する信仰により、確信をもって、
大胆に神に近づくことができます。
キリストに結ばれているなら、
私たちはもっと大胆に、失敗を恐れず、
お父さんの懐に飛び込んで行っていいのです。
最もよくないことは、
失敗を恐れて何もしないこと、
失敗を恐れて、祈らないこと、祈れなくなること、
祈りが億劫な作業になってしまうことです。
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