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執筆者の写真元気牧師

12月27日(火)



【聖句】


主よ、あなたは必ず

わたしを助け

力づけてくださいます。


(旧約聖書・詩編86編17節)



【黙想】


昨日は午前中、

幼稚園の卒園生たちの学童で

小学生たちと過ごしました。


一年生の弟が、

4年生のお姉ちゃんに

何度もちょっかいを出しては

そのたびに、

「もう!○○、やめて!」と

怒られていました。


何度も何度もこんなやりとり。


わたしはこう言いました。


「なんで絶対怒られるって

 わかっとんのにするん?」


すると、

それを聞いていた

別の3年生の男の子が

ボソッとこう言いました。


「絶対怒られるって

 わかってるからだよ。」


ハッとさせられました。


子どもには子どもの

考えがある。


そしてきょうだいには

一つ屋根の下で

いつも一緒にいる

親密で特殊な関係性がある。


その子ども独特の、

きょうだい独特の世界の中で

絶妙なバランスで

関わっているんだ、と

思わされました。



王であり、

祈りの人であったダビデ。


彼の祈りは

傍から見ると

しばしば激しく強烈で、

見方によっては

神様の胸ぐらを掴むように

と言ったら

言い過ぎかもしれませんが

でもそう言いたくなるくらい

神様に食ってかかるような

くらいついていくような

ものなのです。


なぜそこまで

神様にぐいと迫っていく

祈りができるのか。


彼には確信があるからです。


 主よ、あなたは必ず

 わたしを助け

 力づけてくださいます。


「必ず」助けてくださる。

そう彼は言っています。


実はダビデの詩編の中には

「主は必ず○○してくださる」

っていう言葉が

たくさん出てくるんです。


あの仲良しのきょうだいが

いつも一つ屋根の下で

一緒にいるがゆえに

相手を知り尽くしている

のと同じように


ダビデは主なる神様と

いつも親しく交わり

主がどのような方が

身をもって

分かっているのです。


だから

「主は必ず○○してくださる」

と言える。


だから

何度でも、

どんなときでも

熱烈に食らいついていく

ことができるのです。


無論、

主のなさることを

人間が「決めつける」ことは

相応しいことではありません。


けれども、

主とダビデの関係性の中で、

ダビデが全幅の信頼をもって

「主は必ず○○してくださる」

と告白する姿は、

信仰者の目指すべき

一つの極致があるように

思うのです。



【小さな祈り】


*****

今日は詩編の中で

「必ず」が出てくる節を

いくつか紹介します。


一つ一つ声に出して

口ずさみ、

祈りに導かれてください。



◎14:6

…貧しい人の計らいを

お前たちが挫折させても

主は必ず

避けどころとなってくださる。


◎27:5

…災いの日には必ず

主はわたしを

仮庵にひそませ

幕屋の奥深くに

隠してくださる。


◎27:10

父母はわたしを

見捨てようとも

主は必ず、わたしを

引き寄せてくださいます。


◎46:2

神はわたしたちの

避けどころ、

わたしたちの砦。

苦難のとき、

必ずそこにいまして

助けてくださる。


◎61:6

神よ、あなたは必ず

わたしの誓願を聞き取り

御名を畏れる人に

継ぐべきものを

お与えになります。


◎63:8

あなたは必ずわたしを

助けてくださいます。

あなたの翼の陰で

わたしは喜び歌います。


◎140:13

わたしは知っています

主は必ず

貧しい人の訴えを取り上げ

乏しい人のために

裁きをしてくださることを。


*すべて、ダビデの詩編です。






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