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12月26日(火)

執筆者の写真: 元気牧師元気牧師


【聖句】


モーセは言った。

「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。

どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」


(出エジプト記3章3節)



【黙想】


年老いたモーセが神からの召しをいただいたのは、

彼は羊飼いとして野の奥に羊たちを追っていき

神の山ホレブに近づいたときでした。


・・・・

そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。

彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。

・・・・


彼には最初、主の御使いは見えなかったでしょう。

彼の目にはただ、燃えているのに燃え尽きない、

不思議な柴が見えたのです。


聖書はそのときのモーセについてこう記しています。


・・・・

モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」 主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。

・・・・


どうしてだろう?と不思議に思う。

どうしても見たいと思う。

そして、道をそれて近づいていく。


わたしは、モーセのこの行動を思い巡らすにつけ、

幼稚園の子どもたちの姿がどうしても重なって見えてきます。



何か不思議な光景を見て、

「どうしてだろう?」と不思議に思う。

・・・ここまでは大人でもある程度は経験があるでしょう。


しかし、大人は、

自分の経験や、聞きかじった様々な知識、情報に照らし合わせて

「ああ、たぶんこういうことだろう」と割り切って、

そのままの道を進んでいくのです。


決して、道をそれて行こうとはしない。

我が道の先を急ごうとするのです。



兄弟姉妹、

我が道を守ろうとするあまり、

己がやり方を固守するあまり、

自らの理想にこだわるあまり、

私たちはしばしば神の召し、神の語り掛け、神と出会う機会を

みすみす逃しているのかもしれません。






 
 
 

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