
【聖句】
モーセは言った。
「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。
どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」
(出エジプト記3章3節)
【黙想】
年老いたモーセが神からの召しをいただいたのは、
彼は羊飼いとして野の奥に羊たちを追っていき
神の山ホレブに近づいたときでした。
・・・・
そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。
彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。
・・・・
彼には最初、主の御使いは見えなかったでしょう。
彼の目にはただ、燃えているのに燃え尽きない、
不思議な柴が見えたのです。
聖書はそのときのモーセについてこう記しています。
・・・・
モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」 主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。
・・・・
どうしてだろう?と不思議に思う。
どうしても見たいと思う。
そして、道をそれて近づいていく。
わたしは、モーセのこの行動を思い巡らすにつけ、
幼稚園の子どもたちの姿がどうしても重なって見えてきます。
何か不思議な光景を見て、
「どうしてだろう?」と不思議に思う。
・・・ここまでは大人でもある程度は経験があるでしょう。
しかし、大人は、
自分の経験や、聞きかじった様々な知識、情報に照らし合わせて
「ああ、たぶんこういうことだろう」と割り切って、
そのままの道を進んでいくのです。
決して、道をそれて行こうとはしない。
我が道の先を急ごうとするのです。
兄弟姉妹、
我が道を守ろうとするあまり、
己がやり方を固守するあまり、
自らの理想にこだわるあまり、
私たちはしばしば神の召し、神の語り掛け、神と出会う機会を
みすみす逃しているのかもしれません。
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