【聖句】
見よ、
兄弟が共に座っている。
なんという恵み、
なんという喜び。
(旧約聖書・詩編133編1節)
【黙想】
昨日、
山田教会では三年ぶりに
クリスマス礼拝後、
お祝いの会を行いました。
食事を伴わないもので
短時間のプログラムでした。
それでも、
やっぱり、
楽しかったし
嬉しかったし、
あたたかかった。
私は思っています。
教会の交わりは
あたたかくないといけないって。
愛。赦し。祈り。
讃美。笑い。喜び。
私たちは
裁き合うためではなく
愛し合うために、
祈り合うために、
笑い合うために、
一つの体とされたのです。
ときおり、
「教会に行くより、
一人で聖書を読んで祈るほうが
信仰が深められていい」
とおっしゃる方がいます。
厳しい言い方をします。
一人で守ることができてしまう、
一人で深めることができてしまう、
その程度の信仰は、
聖書の信仰ではありません。
人が一人でいるのは良くない、
とおっしゃって、
アダムにパートナーを
与えた神様は、
常に、
私たちを神の民、
神の家族、
キリストの弟子たちの
群れの中に置くことを
望まれました。
私たちは、
神さまに与えらえた
信仰の家族のなかで
大きな信仰の中で
そして、
教会という「人間関係」
の中で、
守られ、鍛えられ
育まれていくのです。
祈祷会に、
神の家族からの
祈りのリクエストが
バンバン舞い込んでくる
共同体でありたい。
(一人で抱えないで!)
それにこたえて
ガンガン祈り込んでいく
祈りの共同体でありたい。
そして、
祈りを聞きたもう
主の恵みに触れた証が
あちこちから
ドンドン聞こえてくる、
そんな教会でありたい。
【小さな祈り】
見よ!とあなは言われます。
主よ、
私は一人ではありません。
きょうだいが共に
座っています。
私は一人ではありません。
今、ひとりで座していても、
「天にますます『我らの』父よ」
と呼びかけるとき
私は一人ではありません。
神の家族と共にいる
自分を見いだします。
どうか辛く苦しいときこそ
「我らの」父よ、と呼び、
同じ苦しみ、
同じように試練の中にある
大勢の兄弟姉妹のために
祈らせてください。
そのことが私を慰めるのを
味わわせてください。
どうか多くの人を
神の家族に迎えることが
できるように。
今、孤独を覚えている人が
教会に導かれますように。
主よ。
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*あなたの言葉で祈りましょう。
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アーメン。
◎アップが遅くなってしまいまいた!
おゆるしください。
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