【聖句】
そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。
(新約聖書・ルカによる福音書1章46~49節)
【黙想】
いわゆる「マリアの賛歌」の冒頭部分。
マリアが、天使の言葉通り奇跡的に身ごもっていた親類のエリサベトと対面し、
彼女から祝福の挨拶を受けた時に
天を仰ぎ、舞い踊るようにしながら告白した言葉です。
その冒頭でマリアが、
驚愕しながら歓喜していることはなんでしょうか。
それは、全能の神たるお方様が、
こんな私に目を留めていてくださるのだという事実です。
「この私を、神様は、見ていてくださるんだ!」
この喜びは計り知れないものです。
私自身も、伝道者として歩む中で
「主は本当に私のことを見ておられるんだ!」って跳びあがる経験を
何度もさせていただきました。
胸に手をあてて思い返すなら、あなたにもそのような経験があるはずです。
人間は、目立つ人や能力のある人、
注目を浴びている人やステージの上に立っている人を見るものです。
客席のその他大勢など見ませんし、
客席にはライトは当たらず、ステージ上から見ると驚くほど真っ暗です。
たとえステージの上にいる人であっても、
脇役は「脇」の役です。
注目はされない。
しかし、終始その「脇役」だけを見つめている人が一人だけいます。
その人の親や伴侶です。
思い出す散文詩があります。
クリスマスイブを明日にひかえて、静かに思い巡らしたいと思います。
「星を動かす少女」
クリスマスのページェントで、
日曜学校の上級性たちは、
三人の博士や、牧羊者の群や、マリヤなど、
それぞれ人の眼につく役をふりあてられたが、
一人の少女は誰も見ていない
舞台の背後にかくれて星を動かす役があたった。
「お母さん、私は今夜星を動かすの。見ていて頂戴ねー」
その夜、堂に満ちた会衆は
ベツレヘムの星を動かしたものが誰であるか
気づかなかったけれど、
彼女の母だけは知っていた。
そこに少女のよろこびがあった。
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