
【聖句】
わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、
神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。
(新約聖書・コリントの信徒への手紙二10章4節)
【黙想】
この言葉の直前で、
使徒パウロは次のように記しています。
・・・・
わたしたちは肉において歩んでいますが、
肉に従って戦うのではありません。(10:3)
・・・・
肉。
この肉体、この弱く、限界があり、
弱り、傷つき、疲れる体。
私たちはこの肉をまとい、
この肉を抱えて生きています。
そして、それゆえに、信仰生活もまた、
この肉の力でやろうとしてしまう。
頑張ってしまう。頑張り過ぎてしまう。
「頑張ります!」と言ってしまう。
しかし頑張れば頑張るほどに、
私たちは、信仰の真髄から遠ざかっていくのです。
・・・・
わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、
神に由来する力―。
・・・・
パウロはこのように語ります。
・・・・
わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。
この並外れて偉大な力が神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが
明らかになるために。(4:7)
・・・・
土の器。肉の体。
しかし、そこに神に由来する力、
神から出た力が宿る。
並外れて偉大な力が。
自分の肉の力で信仰生活を頑張るクリスチャンのことを、
ある人はエレベータークリスチャンと言っています。
登ったり、くだったり。波がある。
確かに私たちは、
肉において歩んでいます。
しかし、肉に従って戦う必要はないのです。
「頑張れ、頑張れ!」
「あの人みたいに!」
「こんなんじゃだめだ!もっと!」
私達の肉に鞭を打つような言葉は、
神に由来するものではなく、
ほとんど悪魔に由来するものです。
私たちはむしろ、
握りしめている手をほどき、
固いしわの寄った眉間を緩めて、
♪主われを愛す~と歌い始めたらいい。
どうしても肩に力が入ってしまうときは、
教会学校の礼拝に、
幼稚科の礼拝に、出させてもらったらいい。
信仰の戦いには、
肉の力はまったく役に立たないのです。
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