【聖句】
翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、
ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。
(新約聖書・使徒言行録10章9節)
【黙想】
このとき、ちょうどお昼どきでした。
ペトロはこの時、空腹を覚えて何か食べたいと思っていた、
と書かれています。
そして人々は階下で食事の準備をしていたとも記されています。
いろいろ想像できます。
もう昼食の時間だった。
でも、まだ食事の準備に時間がかかりそうだ。
あと2、30分くらいだろうか・・・。
では、ペトロはどうしたか。
「おっそいなあ」とつぶやきながら、
スマホをいじっていた、のではありません。
・・・
ペトロは祈るため屋上に上がった。
・・・
彼は、この時間を「祈るため」に捧げました。
何でもないような、読み飛ばしそうな記述かもしれません。
でも、このさりげない姿の中に、
大切なメッセージがあると思うのです。
祈りは、決まった時間に、きまった場所で、
あらたまって、かしこまって、ささげるものばかりではないのです。
ふとした時間に、
降ってわいたようなタイミングに、
祈ることを選び取っていく。
あ、祈ろう。
あ、祈れる。
あ、祈りたいな。
祈りが、そんな自然なことであってほしい。
ペトロはこのとき、
思い立って屋上にいき、祈り始めました。
祈りつつ空腹を覚えました。
このあと神様は、そんなペトロの空腹さえもお用いになって、
ご自身の御心を啓示してくださり。
このことがきっかけで、のちにエルサレム教会は異邦人伝道へと
大きく舵を切っていくことになっていくのです。
実に、この教会史上もっとも重要な出来事の一つである異邦人伝道の開始が、
ペトロがあの日のお昼どきに
昼食を待つ間に思い立って屋上に上がって祈り始めたことからスタートしていく。
なんと不思議なことでしょう。
私たちもきっとそう。
ふとした時に、祈ることを選び取っていく。
そこから何か思いもしない主の御業がはじまっていく。
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