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執筆者の写真元気牧師

12月17日(土)



【聖句】


信仰によって、人々は

まるで陸地を通るように

紅海を渡りました。


(新約聖書・ヘブライ人への手紙11章29節)



【黙想】


意外でした。


モーセに率いられた民が

後ろをエジプトの追手、

目の前を紅海に阻まれたときのこと。


主の言葉に従ってモーセが

海に向かって両手を

差し伸べると、

神様が夜もすがら

激しい東風を吹かせて

海を二つに裂き、

人々はその水の間を

通って進むことができたのでした。


あの時、

逃げ道を失った

人々は「ああもうだめだ~」と

泣き言をいい、

「もういやだ~」と

つぶやきました。


それでもなお主は

彼らを憐み、海の中に

道を開いてくださったのです。


確かに、

これは主の御業であり

その立役者は

モーセその人だと思います。


けれども聖書は言うのです。


 信仰によって、人々は

 まるで陸地を通るように

 紅海を渡りました。


そうか、と思いました。

確かに海の中に

道が与えられたのは、

主の御業です。


けれども、

海の水が両側に

そそり立っている道に

踏み出し、進んで行くことは

勇気のいることでしょう。


その水がいつもとに戻るか

分からない。


もとに戻ったら

自分たちは海の藻屑です。


それでもなお

彼らは踏み出していった。


さっきまで泣き言を

いっていた彼らが、

その道を進んで行く、

その姿を聖書は

「信仰によって、人々は

 まるで陸地を通るように

 紅海を渡りました」と

証しているのです。


決して立派な信仰、

ではありません。


有るか無きかの信仰です。

幼く、たどたどしく

頼りない信仰です。


でも聖書は、神様は

それをも「信仰」と

呼んでくださり、

まるでくすぶる灯心の

小さなともし火を

両手で覆い慈しむように、

小さな信仰の芽を

育ててくださるのです。



兄弟姉妹。

私たちも、何度も何度も

彼らのように泣き言をいい

つぶやき、

弱音を吐きます。


それでもなお、

主は私たちを憐み

日々新しい道を、

海の中にすら

道を開いてくださいます。


おどおどしながらでも、

びくびくしながらでも、

そそり立つ水に

ドキドキしながらでもいい。

主が開いてくださった

今日という道を、

主がつくってくださった

この道なき道を

今日も一歩一歩

あゆんいきましょう。


立派な信仰ではなくても

今日を、

目の前の一歩だけを思い

主よ!と踏み出してく。


それだけでいいのです。


その積み重ねを、

そのような日々を、

神様は受けとめ、

慈しみ育ててくださいます。



【小さな祈り】


慈しみ深い天の父よ。

あなたは有るか無きかの

信仰をも愛おしみ、

これを受けとめて

育ててくださいます。

あなたが日々

開いてくださる道を歩むことすら

私たちにとっては

勇気がいることです。

どうか主よ、

今日一日、

いや、目の前の一歩を、

あなたの御名によって

踏み出させてください。

明日のことを思い煩わず

過去に忘れ物を

取りに行こうとすることもせず

今を、主と共に。

*あなたの言葉で祈りましょう。

アーメン。





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