【聖句】
キリストは御子であるにもかかわらず、
多くの苦しみによって従順を学ばれました。
(新約聖書・ヘブライ人の手紙5章8節)
【黙想】
御父に従順であったイエスさまが、
なお多くの苦しみによって従順を学ばれた、というのです。
それは、私たち人間の「永遠の救いの源」となるためであったと
聖書は言います(5:9)。
苦しみによって、従順を学ぶ。
そして、救いの源となる。
このことは、私たちキリスト者にとっても同じようなことが言えるかもしれません。
私たちもまた、苦しみを通して従順を学びとっていく。
たぶん、私たちは、
苦しみを通してしか本当の意味での従順は学べないのです。
別の方法でお願いしますと申し上げたいのですが、
残念ながら別の方法はないのだと思います。
私たちのこの地上の旅路の第一の目的が、
神と出会い、神をよく知ることであるなら、
苦しみは、そのために欠かせないものだと言わねばなりません。
避けて通りたいです。逃げ出したいです。
やだ~~って。叫びたい。
でも、やっぱり、神様を深く知り、
主の恵みを味わいたい。
忍耐。
自分自身に死ぬこと。
ただ神だけに頼る、無に等しい者となるために。
口先だけで「自分は弱い、弱い」と言いながら、
内側では自分の力に頼り、
自分自身にしがみついている。
その固く握りしめられた手の指を
一本一本、引きはがされて。
本当の従順を学ぶことはお手軽なことじゃない。
でも、長く苦しい道のりの先には、
それまで担い、味わってきたものを補ってなお余りある
平安の大地が果てしなく広がっています。
それを見たら、
すべてを忘れるくらいの景色が、きっと。
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