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執筆者の写真元気牧師

12月10日(日)



【聖句】


だれでもキリストのうちにあるなら、

その人は新しく造られた者です。

古いものは過ぎ去って、

見よ、すべてが新しくなりました。


(新約聖書・コリントの信徒への手紙Ⅱ5章17節)新改訳



【黙想】


昨日は山田教会で「クリスマス音楽会」が開かれました。

実に4年ぶりとなる開催でした。


大人から子供まで、

たくさんのクワイアが参加し、演奏してくれました。


わたしは何も演奏できませんが、

司会をさせていただきました。


演奏の前には、ちょこっとだけ、

その曲について解説のようなことをお話しました。


音楽会の最後の曲は、ヘンデル「メサイア」より、

ハレルヤがハンドベルで演奏されました。



このメサイアという曲は、

「ハレルヤ」があまりにも有名で、

喜びにあふれたきらびやかなイメージばかりが先行している気がします。


さも幸せそうな人々が、

「ハレルヤ~ハレルヤ~」と歌っている。

そんなイメージ。


でも本当はそうではありません。


この曲が生まれた背景は軽薄なものではなく、

もっと深い深い出来事があるのです。



当時、ヘンデルは破産状態にあり、生活は本当に苦しいものでした。

その上、脳出血で倒れ、心身ともに最悪の状況にあったのです。


ヘンデルの友人のチャールズ・ジェネンズは、

落ち込んでいるヘンデルを励ます最高の方法は、

彼が全力を注いで、作曲できる台本を書くことだと思い、

旧約聖書の預言の成就としてのイエス・キリストの降誕・受難・復活を描いた台本を書いて、ヘンデルに送りました。


ヘンデルは、その台本によって奇跡的に立ち直って、

僅か24日間でメサイアを書き終えたのです。

作曲の途中で、彼は何度も、涙を流したそうです。


ある朝、召使いがヘンデルの部屋にコーヒーを持っていくと、

テーブルの上には前日の夜の食事がそのまま残されており、

ヘンデルは涙を流しながら一心不乱にペンを走らせていたといいます。


ちょうど、イザヤ書を繰りながら、

救い主の受難の場面に向き合っていたときでした。


また彼はハレルヤ・コーラスを書いている時も、

彼は目に涙をためながら、こう叫んだそうです。

「私の目の前に天の国が開かれ、

 偉大な神ご自身の姿が見えたような気がする!」

 


ハレルヤコーラスは、能天気なハレルヤ、ハレルヤ、じゃないんです。

一人の音楽家が、人生の暗闇の中で、

聖書を通し、音楽を通して再び立ち上がっていく。

もう一度人生をやり直す大きな希望を見出していく。


この大きな喜び。

ありったけの感謝。

そして渾身の信仰を込めて、

彼は「ハレルヤ!!」と歌い奏でたのです。


あのコーラスが、あれほど力に満ちているのは

ヘンデルの内から湧き出る、あふれ出る、本当の讃美、

ほんものの「ハレルヤ」だからです。


パウロの言葉を思い出します。


 だれでもキリストのうちにあるなら、

 その人は新しく造られた者です。

 古いものは過ぎ去って、

 見よ、すべてが新しくなりました。


アーメン。



*12/9の聖句更新ができず申し訳ありませんでした。9日夜に気づきました。クリスマス音楽会のことで頭がいっぱいだったようです。すみませんでした。







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