【聖句】
主は人ひとりいないのを見、
執り成す人がいないのを驚かれた。
(旧約聖書・イザヤ書59章16節)
【黙想】
イスラエルの歴史上もっとも暗黒に満ちていた時代、
主はご自分の民をご覧になって、
こう言われました。
・・・・
主は正義の行われていないことを見られた。
それは主の御目に悪と映った。
主は人ひとりいないのを見、
執り成す人がいないのを驚かれた。
・・・・
主は民の間に正義が行われていないことを嘆かれましたが、
それ以上に驚き、悲しまれたのは
そんな神の民の惨状に心を痛め、
必死にとりなし祈る人がいないという状況でした。
主はいつでも、
どんなひどい状況であっても、
そのために心を痛めて主を仰ぎ、
主にとりなし祈る一握りの人々を求め、
主に必死に取りすがる一人の人を探しておられるのです。
日本の状況も世界の状況も
「義が行われていない」ような状況でしょう。
しかし主は、そのような状況に心を痛めつつも、
むしろそこで祈りのために立ち上がり、
祈りのために集い、
祈りのために戦う人々がいないことに驚き、悲しまれています。
主は教会をご覧になっています。
教会が小さく、弱さを覚えていることに心を痛めておられるでしょう。
しかし、それよりも心を痛めておられるのは、
「なのになぜ、とりなし祈る人々がこんなに少ないのか」
「どうして教会の祈祷会に人が集まっていないのか」ということではないでしょうか。
・・・・
主は人ひとりいないのを見、
執り成す人がいないのを驚かれた。
・・・・
世界の片隅で、私たちが祈って何になるのか・・・。
祈ることで何が変わるというのか・・・。
これらの思いはみな、
祈ったことのない人の言葉です。
祈りの力を知らない人の言葉です。
・・・・
主は人ひとりいないのを見、
執り成す人がいないのを驚かれた。
・・・・
とりなしの祈り。
誰かのために名前をあげて祈る祈り。
何かのために切に主にとりなす祈り。
神の目にそれは、非常に重要な意味を持つ。
先週「長く休んでいる方のために」との主題のもと、
名をあげて祈った方のうちのある方が
この前の礼拝に出席なさったじゃないですか。
これは偶然でしょうか。
Comments