【聖句】
人を恐れるとわなにかかる。
しかし主に信頼する者は守られる。
(旧約聖書・箴言29章25節)
【黙想】
私達の心が平安を失うとき。
それはかなりの割合で、
私達が「人」に目を奪われているときです。
人を恐れる。
これは人間に怯える、怖がるという意味ではありません。
神よりも人に関心が向いている状態のことを意味しています。
そして、そこには敵の「罠」があるのだ、と聖書は言うのです。
わたしはかつて、
自分の教会のある長老を大変信頼しておりました。
信仰も人柄も、
そして能力も、本当に申し分のないような人でした。
ところがその長老が県外に転居することになり、
教会を移らねばならなくなったのです。
わたしは、表面上はへっちゃらを装っていましたが、
自分でも驚くくらい心が落ち込み、
うろたえ、動揺しました。
わたしはとても反省しました。
わたしは気づかないうちに、
神様ではなく、人を見ていたのかもしれない。
神様を信頼する以上に、
教会によく仕え、
牧師をよく助けてくれるこの人をあてにしてしまっていたのかもしれない、と。
良き助け手は神様の恵みですが、
一歩間違えるとそれが罠になってしまうこともあるのです。
あなたはどうでしょうか。
気づかないうちに、
神様ではなく、人をあてにしていないでしょうか。
あなたの信仰生活に、
「人」が影響を及ぼしていないでしょうか。
神に向けるべき関心を人に向け、
神の言葉を思い巡らすべき時間を、
人間の言葉を思い巡らすことに浪費していないでしょうか。
処方箋は一つです。
その「人」から目を背けよう、耳をふさごうではなく、
(そんなことしようとしたら、より「人」に意識が向いてしまう。罠です。)
もっと神様に目を向けることです。
ある牧師は言いました。
人の言葉や行動を思い返して平安を失うのは、
あなたが暇だからです。
そんなことをしている暇がないくらい神様に仕えれば、
おのずと問題は解決するものですよ。
ずいぶん直截な物言いだな;とは思いますが、
一理あると思いますよ。
【小さな祈り】
天の父よ。
常にあなたに信頼し、
あなたの言葉、あなたの恵み、
あなたの御心について思い巡らすことができますように。
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*あなたの言葉で祈りを続けてください。
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アーメン。
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