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執筆者の写真元気牧師

11月6日(月)



【聖句】


これはあなたたちの戦いではなく、

神の戦いである。


(旧約聖書・歴代誌下20章15節)



【黙想】


これは、信者が自分勝手にそう思い込んで、

そういうことにして、耐え忍ぶということではありません。


ひとたび主ご自身が「これはわたしの戦いである」と啓示してくださったのなら、

わたしたちは恐れることはない、ということです。


この戦いが主の戦いであるならば、

敵の軍勢がどんなに強大でも、

自分たちの力がどんなに弱く小さくても、

わたしたちは一切、恐れる必要はないのです。



「この戦いは主の戦いだから、恐れなくていい。」


このようなメッセージを受け取ったケースを三つ、

紹介しましょう。


一つはヨシャファト王の時代。

圧倒的な敵の軍勢を前に王も国民もみんなで必死に祈ったのです。


そのとき、主はこのように語ってくださいました。



ユダのすべての人々がその幼子も、妻も、息子と共に主の御前に立っていた。その会衆の中で、アサフの子孫のレビ人ヤハジエルに主の霊が臨んだ。ヤハジエルの父はゼカルヤ、祖父はベナヤ、更にエイエル、マタンヤとさかのぼる。彼は言った。「すべてのユダよ、エルサレムの住民とヨシャファト王よ、よく聞け。主はあなたたちにこう言われる。『この大軍を前にしても恐れるな。おじけるな。これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである。明日敵に向かって攻め下れ。見よ、彼らはツィツの坂を上って来る。あなたたちはエルエルの荒れ野の前、谷の出口で彼らに会う。そのときあなたたちが戦う必要はない。堅く立って、主があなたたちを救うのを見よ。ユダとエルサレムの人々よ、恐れるな。おじけるな。明日敵に向かって出て行け。主が共にいる。』

歴代誌下20:13-17

もう一つは、ヒゼキヤ王の時代。



王は指揮官を民の上に立て、彼らを城門の前にある広場に集めて激励して言った。「強く雄々しくあれ。アッシリアの王とその全軍団を見ても、恐れてはならない。おじけてはならない。我々と共においでになる方は、敵と共にいる者より力強い。敵には人の力しかないが、我々には我々の神、主がいて助けとなり、我々のために戦ってくださる。」民はユダの王ヒゼキヤの言葉に力づけられた。

歴代誌下32:6-8



そしてモーセの時代。



モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」 

出エジプト記13:14

これは、主の戦いである。

主が戦ってくださる。


このような確信が与えられるならば、

私たちの数や持ち物など問題ではありません。


ですから大切なことは、

私たちが自分自身で勝手に戦いに出ていくのではなく、

「主の戦い」のために用いられるように祈り求めることではないでしょうか。






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