【聖句】
これはあなたたちの戦いではなく、
神の戦いである。
(旧約聖書・歴代誌下20章15節)
【黙想】
これは、信者が自分勝手にそう思い込んで、
そういうことにして、耐え忍ぶということではありません。
ひとたび主ご自身が「これはわたしの戦いである」と啓示してくださったのなら、
わたしたちは恐れることはない、ということです。
この戦いが主の戦いであるならば、
敵の軍勢がどんなに強大でも、
自分たちの力がどんなに弱く小さくても、
わたしたちは一切、恐れる必要はないのです。
「この戦いは主の戦いだから、恐れなくていい。」
このようなメッセージを受け取ったケースを三つ、
紹介しましょう。
一つはヨシャファト王の時代。
圧倒的な敵の軍勢を前に王も国民もみんなで必死に祈ったのです。
そのとき、主はこのように語ってくださいました。
ユダのすべての人々がその幼子も、妻も、息子と共に主の御前に立っていた。その会衆の中で、アサフの子孫のレビ人ヤハジエルに主の霊が臨んだ。ヤハジエルの父はゼカルヤ、祖父はベナヤ、更にエイエル、マタンヤとさかのぼる。彼は言った。「すべてのユダよ、エルサレムの住民とヨシャファト王よ、よく聞け。主はあなたたちにこう言われる。『この大軍を前にしても恐れるな。おじけるな。これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである。明日敵に向かって攻め下れ。見よ、彼らはツィツの坂を上って来る。あなたたちはエルエルの荒れ野の前、谷の出口で彼らに会う。そのときあなたたちが戦う必要はない。堅く立って、主があなたたちを救うのを見よ。ユダとエルサレムの人々よ、恐れるな。おじけるな。明日敵に向かって出て行け。主が共にいる。』
歴代誌下20:13-17
もう一つは、ヒゼキヤ王の時代。
王は指揮官を民の上に立て、彼らを城門の前にある広場に集めて激励して言った。「強く雄々しくあれ。アッシリアの王とその全軍団を見ても、恐れてはならない。おじけてはならない。我々と共においでになる方は、敵と共にいる者より力強い。敵には人の力しかないが、我々には我々の神、主がいて助けとなり、我々のために戦ってくださる。」民はユダの王ヒゼキヤの言葉に力づけられた。
歴代誌下32:6-8
そしてモーセの時代。
モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」
出エジプト記13:14
これは、主の戦いである。
主が戦ってくださる。
このような確信が与えられるならば、
私たちの数や持ち物など問題ではありません。
ですから大切なことは、
私たちが自分自身で勝手に戦いに出ていくのではなく、
「主の戦い」のために用いられるように祈り求めることではないでしょうか。
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