【聖句】
人にはできないが、神にはできる。
神はなんでもできるからである。
(新約・マルコ10:27[口語訳])
【黙想】
この聖句を取り上げるのは2回目です。
大切な聖句は、
何度でも味わい、受けとめなおしたく思います。
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自分の思いの通りに生きていきたい。
そうとしか思っていない人が、
この聖句を自分本位に引用することがあるかもしれません。
たとえ私の願いや計画が、
人間の目には不可能に思えたとしても、
「人にはできないが、神にはできるのだ」と聖書にあるのだから、
きっとできる、きっとなんとかなるのだ!と。
しかしこのような引用は聖句の乱用です。
四つの福音書において、
この「神は何でもきる」という御言葉が
最初に登場してくるのはルカ1章です。
いわゆるマリアへの「受胎告知」の場面で、
「どうしてそんなことがあり得ましょう・・」と
恐れ惑うマリアに天使が最後の最後で宣言した言葉。
聖霊があなたに降り、
いと高き方の力があなたを包む。
だから、生まれる子は聖なる者、
神の子と呼ばれる。
あなたの親類のエリサベトも、
年をとっているが、
男の子を身ごもっている。
不妊の女と言われていたのに、
もう六か月になっている。
神にできないことは何一つない。
このように語りかけられたマリアは、
自分の思いや計画、
結婚生活への夢などを主に明け渡して答えました。
わたしは主のはしためです。
お言葉どおり、
この身に成りますように。
「神にはなんでもできる。」
この御言葉は、本来、
このわたしへの神の語りかけを聞き、
その神の語りかけのうちに自らの召命を
聞き取ろうとする者に与えられる励ましの言葉です。
マリアは
自分の願いや自分の計画を明け渡し、
うろたえながらも、
自分への神の召命、
ご計画を受けとめ、
一歩踏み出しました。
そんなマリアだからこそ、
苦しみの中で、
疑いの日々、
信仰の試練の中で繰り返し繰り返し、
何度でも自分自身に向かって言えるのです。
あの日天使から聞いた、
主の励ましの言葉を。
「神に出来ないことは何一つない!」
神の御言葉、
神の約束があり、
その神の御言葉、
神の約束に応えて立ちあがった者にこそ、
この聖句は生きてくるのです。
神の召し、神の御心そっちのけで、
自分自身の願望を叶えるためだけに
この聖句を乱用してはいけませんよ。
【小さな祈り】
天の父よ。
わたしは私の願いばかりを申し上げてきました。
私の話ばかりをしてきました。
あなたが私に願っておられること、
私のためのあなたのご計画・・・
これらのことに、
私は驚くほど無頓着だったのです。
主よ、おゆるしください。
今日、私は祈り求めます。
主よ、あなたは私に何を願っておられますか。
あなたは私に、どのようなご計画をもっておられますか。
お語りください。
お示しください。
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*静まりましょう。
自分の心に与えられた思いや、
思い出した聖句などを心に留めてください。
何も示されなくても気にしないで。
とにかくひとときを、
静まってただ神様のために取り分けてください。
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アーメン。
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