【聖句】
主は馬の勇ましさを
喜ばれるのでもなく、
人の足の速さを
望まれるのでもない。
主が望まれるのは
主を畏れる人
主の慈しみを待ち望む人。
(旧約聖書・詩編147編10-11節)
【黙想】
すごく素朴で単純な話。
神様のモノサシと
この世のモノサシとは
異なるということ。
そして私たちが
神さまのモノサシに生きるように
なればなるほど、
私達は解き放たれ、
自由に、自分らしく
安心して生きられるように
されていくということ。
聖書が言っているのは、
「強くあれ」ということであって
「強くなれ」ということではない。
専門家ではないので
感覚的な話になるかもしれませんが、
「強くなる」とは、
自分自身の努力で
自分の力を増強していくことで、
「強くある」とは、
弱い自分が、
その弱さのゆえに神を求め
神の力を受けとりながら
生きているということ。
わたしはそう理解します。
ある人はいいました。
信仰は弱さを強さに
変えるものではない、と。
そしてこう言っています。
主が望まれるのは
主を畏れる人、
主の慈しみを待ち望む人、
というのは、
自分の弱さの中にいてこそ見えてくる
神の恵みの世界に生きる人の姿であります。
アーメンです。
【小さな祈り】
父よ。
馬の勇ましさが
死活問題になる世界ではなく、
人がその足の速さを競って
いたずらに栄枯盛衰を
繰り返す世界でもなく、
神のモノサシで生き、
神の恵みに生きる世界に
わたしを連れ出してください。
私に必要なことは、
強くなることではなく、
あなたの力を受けとって
強くあることなのです。
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*あなたの言葉で祈りましょう。
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アーメン。
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