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執筆者の写真元気牧師

11月3日(木)



【聖句】


主の御前に出て

水のようにあなたの心を注ぎ出せ。


(旧約聖書・哀歌2章19節)



【黙想】


水は素直です。

水は決して、無理をしません。

高いところから低いところへと、

力むことなく流れ落ちていきます。


やかんを傾ければ、

空になるまで注ぎ出されます。


水は素直です。

水は、傾いているほうへと注がれていきます。


難しいことではありません。

高等テクニックは不要です。



あなたは、あなたの心は、

神様のほうに傾いていますか。



少し前に、ある一つのことを巡って、

とても心に重荷、痛み、悔しさを覚えたときがありました。


神様、ごめんなさい。

あなたに対して食って掛かるような物言いをしました。

あなたが最善で最良で完全なお方であることを知っていますが、

わたしはあのとき、

あなたに向かってなお讃美し、なお信仰を言い表すことができませんでした。


ひとしきり、

堰を切ったように、銃弾を放つように、

あなたに思いのたけをぶつけました。


不思議なことが起こりました。


もう言い足りないことが無くなったとき、

しばらく押し黙っていたわたしの口からは、

次第に讃美と信仰の告白が流れ出しました。

自然にです。


そして我にかえるような思いになって、

平安が満ち溢れました。


その晩、

「ああ~、フィリピの牢獄のパウロのように、

ああいうときに讃美歌うたわないとなあ、牧師よ。

お前も、まだまだだねえ」みたいに、

なんというか、不甲斐ない自分自身を励ますというか、

いたわるというか、そんな不思議な感覚になりました。



私は無様な牧師、

不甲斐ない信者でした。

でも、たぶんわたしの心のやかんは、

ちゃんと神様のほうに傾いていたのです。


だから私は、思いのたけを、

ただ「神様に」向かって

注ぎ出すことができた。


だから、平安へと至ることができたのだと思います。


たぶん、あの時わたしは、期せずして、

主の御前に出て、水のように心を注ぎ出していたのです。



兄弟姉妹。

ぐっとこらえて賛美する。

そうできたら素晴らしいでしょう。


ある場合にはそれも必要だと思います。


でも、無理やり、自分の心に蓋をして、

嘘っぱちで讃美歌を歌っても、

それは本当に心からの捧げものになるでしょうか。


人の心は、

「我慢」すると、

それが別の矛先に向かって隣人を傷つけるか

または自分の内側で腐敗して自分自身を傷めるか、

そのどちらかになります。


そしてそのどちらも、

よろしくないことです。


兄弟姉妹。

我慢しないで、格好なんて気にしないで、

水のように、あなたの心を主に注ぎ出してください。

ひとりになって。

ひとりになれる場所がないなら、

鉛筆をもって紙に書きつけたらよいのです。


難しいことではありません。

高等テクニックは不要です。

難しいことではないから、難しいのです、大人には。


きっと、水のように注ぎ出すことを繰り返す中で、

私達は、水のように素直にされていく。

水のように透き通る心を与えられる。

そして、偽りのない讃美を歌うことができるようにされていく。

苦しみの中でも、つらいときにも。



【小さな祈り】


主の御前に出て

水のようにあなたの心を注ぎ出せ。


アーメン。

主よ、わたしは、

もっともっと、祈れるようになりたいです。

私の心がいつも、

あなたに傾いているように助けてください。

そして私の内に、

なんの詰まりも歪みも淀みもないように、

パイプオルガンのように通り良き

まっすぐな管をあたえてください。

詰まりやゆがみがありますなら、

その原因を示し、

あなたの助けによってそれを取り除くことができますように。

プライドや見栄が邪魔をします。

どうか打ち砕いてください。

*あなたの言葉で祈りを続けましょう。

アーメン。




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